20年間“C級スニーカー”に価値を見出し続けた男が語る「スニーカーブルース」

20年間“C級スニーカー”に価値を見出し続けた男が語る「スニーカーブルース」

国鉄からJRになったころに製造されていた、社内用の非売品スニーカー。これもC級スニーカーです

皆さんはじめまして、永井ミキジ(@mikiji)と申します。普段はグラフィック全般のデザインをしていますが、周りからは変な物を集めてる人だと思われています。これを機に変じゃない! ってところを証明できればと思っています。
私はいろんなもの集めているのですが、今回は「C級スニーカー」をご紹介します。「C級スニーカー」とは、簡単に言えばマイナースニーカーのことなんですが、僕なりに定義づけています。

A級スニーカー……ナイキ、アディダスといったメジャーブランドのヴィンテージスニーカー
B級スニーカー……日本で気軽に買える現行品や、ファッションブランドが出しているスニーカー
C級スニーカー……日本では正規ルートで買えなかったり、ブランドが消滅していたり、ニセものだったりするスニーカー

自分が集めている分野を明確に分かってもらうため、それぞれをカテゴリーに分けたのですが、僕は中でもC級に分類したスニーカーを集めています。なぜC級を集めているのか、いや、集めざるを得なくなったのか、そもそものきっかけから少し書かせてください。

なぜC級スニーカーにハマったのか?

僕が関西に住んでいた10代の頃は、いわゆる古着ブームで、デニムはリーバイス501にネルシャツを着て、スニーカーはコンバースやアディダスといったメジャーブランドのものを履いてました。オシャレをすればするほど、スニーカーを履けば履くほど細かな部分に魅力を感じ、コンバースならMADE IN USA、アディダスならMADE IN FRANCE*1といった本国モデルやヴィンテージといわれる古いモデルが欲しくなっていきました。

こういった魅力的なスニーカーは、当時、1足2万円ぐらいしたと思います。お小遣いを必死に貯めて買うけど、高いスニーカーを普段履きにできるほど10代の僕にはお金の余裕はありませんでした。そこで、何か他の選択肢はないのか? と考えた結果、1万円程度とお手頃なマイナーブランドの現行品を履くようになっていきました。



90年代当時はフランスの「パトリック」が日本の靴工場で本国モデル作り発売していて、視点を変えるとメジャーブランド以外にも選択肢はあるんだな……ぐらいの感覚でした。あとは古着屋でヴィンテージスニーカーが並んでる棚の端にある、やけに安いアディダスやナイキも買っていました。今思うと本国では作られてないブートモデルのスニーカーです。それでも人と違うスニーカーが履けてる満足感もあったので、おそらくC級スニーカーに対して意識しだしたのはこの辺りだと思います。

<時代を経て今では気軽に買えるC級だったスニーカー>
解説【1】「パトリック」……1892年に誕生したフランスのブランド。1978年頃、日本にも本国モデルが入るようになる。ファッション性に重きを置いたフランス産スポーツシューズとして人気を博した。サイド後方に入った2本のラインが特徴。

あるスニーカーショップの店主との出会いが全ての始まりだった

ボロボロになるまで履いたヒュンメルのスニーカー

その後、人と違うスニーカーを履きたくて「サッカニー」や「エトニック」など、メジャーブランドと同じ年代に誕生したスニーカーを追いかけていくようになります。



そんな風にスニーカーを楽しんでいた、今から14年前、高円寺の商店街を歩いていると新しいスニーカーショップがオープンしていました。軽い気持ちで店に入ったら見たことのないブランドのスニーカーばかり! 興奮した僕は思わず店主に「僕はマイナーなブランドのスニーカーが好きなんですよ!」と話しかけました。すると僕の足下をチラッと見て、表情ひとつ変えずに「『ヒュンメル』はサッカーデンマーク代表へのスポンサーになるほど有名なブランドだよ」と店主が教えてくれました。



その日は以前に古着屋さんで見つけて購入した、アッパーが「ヒュンメル」でソールが「ポニー」という、僕のなかでは珍しいスニーカーを履いていました。



店主の教えに、たまらなく恥ずかしい気持ちになりましたが、間髪入れずに「でもソールがポニーは珍しいね」と店主のひとこと。一度は冷水をぶちまけてきた後、優しく毛布で抱きしめてくるような緩急をつけてきたんです。



「無表情でひげ面の強面店主だけどイイ人なんだろうな……」

そんな店主の魅力に惹かれ、頻繁にお店に通っては店主にスニーカーのブランドや世界の動向など、色々なことを教えてもらいました。


<時代を経て今では気軽に買えるC級だったスニーカー>
解説【2】「サッカニー」……1898年に誕生したアメリカのブランド。このブランドを手掛けるハイド社は1969年のアポロ11号の月面着陸した時の宇宙シューズを製作した会社としても有名。1979年頃、日本にも本国モデルが入るようになる。サッカニーはネイティブアメリカンの言葉で「川」を意味し、サイドの流れるラインはそれをイメージしている。
解説【3】「エトニック」……1876年に誕生したアメリカのブランド。軍や病院の仕事用シューズの開発を経て、ゴルフやバスケットボールなどのスポーツシューズを手掛ける。日本ではサイドに「KM」のロゴやシューレースを2本使ったDリングのはいったスニーカーが有名。
解説【4】「ヒュンメル」……1924年に誕生したデンマークのブランド。スタッドのついたスパイクを生み出したことで有名で1979年にはサッカーデンマーク代表のスポンサー契約を結ぶ。サイドに入った2本の逆V字は「シェブロンライン」と呼ばれる。1990年代ごろ日本にも本国モデルが入るようになり、2013年に、スポーツ用品の製造・輸入を手がける大阪のSSKが商標権を取得。
解説【5】「ポニー」……1972年に誕生したアメリカのブランド。1976年のモントリオールオリンピックの際、同ブランドを着用した選手が、多数のメダルを獲得し世界で知名度を上げる。サイドに入った逆V字のラインが有名で、1975年頃、日本にも本国モデルが入るようになった。

ある日本のマンガがプリントされたフランス限定スニーカーを日本で買うために、中国を経由して1足200万円も出した人がいる……みたいな信じられない話。ナイキの限定品を買うために徹夜で並んで何十万も払ったことを自慢する人、認知されてないが日本でも素晴らしいオリジナルスニーカーを手掛けているシューズクリエイターがいるということ。都会で2万で売ってるスニーカーも生産工場をたどれば同じモデルが3,000円で買えるということ。ほんとに色々なことを教えてもらいました。



その店主は自身の1000足近いコレクションを全て売り、その資金でスニーカーショップを立ち上げた人で、後に下北沢に移転しましたが、今は残念ながらお店はありません。



「また復活しますよ」と言ったきりで今では縁遠くなったけど、あの人がいたおかげで……っていうかあの人のせいで、スニーカーのある場所をくまなく探す、僕のスニーカー千日回峰行*2が始まってしまったのです。



コレクションの加速

海外で発売されたE.T.スニーカー。こうゆうのが見つけられると、喜びもひとしお

スニーカーを集めるにも色々な人がいて、普通に履くことを好む人もいれば、限定品を好む人、ヴィンテージを好む人、ブランドや年代にこだわる人、モデルにこだわる人、取り憑かれたように買い集め人生を棒に振ってる人もいます。



「スニーカーコレクションは365足所有して初めて『コレクションしてます』と言っていいぐらいで、366足目が本当のコレクションのはじまりとも言われてるような世界だからね」



と例の店主は僕に平然と言っていました。1年365日、毎日違うスニーカーを履けるのは当たり前、366足目がコレクション1足目だと言いたかったみたいです。それぐらい凶暴なコレクターはそこらじゅうにいて、決して姿は現さないそうです。情報が先行するネット時代の"知ってる・見たことある"、ではなく実際に"持ってる"世界なんだと思います。

西ドイツで生産された「ブライトニング」というコンフォートシューズ系ブランドのスニーカー

僕は日々教えてもらうマイナーブランドの薀蓄(うんちく)を聞くにつれ、個人で集めたくなっていき、集めた情報をあの店主と共有すべく、必死になって買い漁りました。マイナーブランドは人気もなく、需要のないサイズだと2、3,000円ぐらい。僕は"365足"あればいいものを"365ブランド"だと勘違いして、生活費以外はスニーカーにつぎ込み、意識が遠のくほど探して買いまくった時期がありました。かなりの金額を使っていたことは、想像に容易いと思います。



しかもマイナーブランドにこだわっていたので、お店で見つけても種類は少なく、サイズの選択肢がありません。蒐集にのめり込んでいたその頃は、"スニーカーは履くものじゃない"ぐらいに考えていました。部屋で山のように積まれたスニーカーを見て、片足だけでいいんだけどな……と真剣に考えた夜もありました。こんなに履くスニーカーがあるのに、なぜ足は2本しかないんだ! と憤りを感じ、左右の足に違う種類のスニーカーを履いて激しく腰を痛めたこともありました。



C級スニーカーコレクターの孤独

いつものように例のお店に遊びに行くと、店主が突然「諸事情あって一度お店を閉めます」と僕に告げました。まだ100足ぐらいしか集めてなかった頃でした。
なんか心にぽっかり穴が空き、すごく寂しかったのを覚えています。それからは誰とも情報共有もせず、孤独な一人旅がはじまりました。街を歩いてはスニーカーをチェックし、それだけだと物足りずに街の紳士靴屋さん、ガテン系ショップ、ホームセンターまで探しました。

某ホームセンターでワゴンセールをしていた「Caribbean」その下にはsimple weaponというコピーも

誰にもその成果を報告できないし、共有する人も、ましてや止めてくれる人もおらず、結果、数年後には400足近いスニーカーを集めることになります。履けないサイズもあったし、「スニーカー的諸行無常」こと加水分解*3で粉々に……なんてこともありました。



このように傷んで廃棄することもあるので、気を抜くとコレクションが365足を切ることもしばしば。「365足以上持って初めてコレクターと言われてるような世界だからね」という店主の言葉が意識に刻み込まれているので、自分がスニーカーコレクターだという自覚は全くなかったです。ただサイドに3本線の入った安全靴や機関車トーマスの顔がついた赤ちゃんの靴にまで手を出し、相当なお金をかけていたので、これはもう後には引けないという気持ちになっていました。



C級スニーカーを手に入れる楽しさと自覚の芽生え

蒐集を続けキャリアを重ね、ある一定の数を超えてくると、自然と皆がC級スニーカーの存在を知り、色々な情報が入ってくるようになりました。今まで苦労して探していたブランドが簡単に手に入ってくることも多くなりました。さらに数が増えると、集めるまでの時間と平行して違うジャンルの情報も入ってくるので、多ジャンルのコレクターとの情報交換や物々交換もありました。

例えば、おもちゃ屋が閉店する情報をコレクターに教えたら、店側と交渉し在庫を全て引き取ることになり、その在庫の中にキャラクターがプリントされたスニーカーが出てきたからとお礼に頂いたり。



あれだけお金をかけていたのに、最近はお金を使わないで集まることが多く、入手のための方法に選択肢が増えてくると"集める"というこだわりが薄らいで、自分らしいセレクトを求めるようになりました。



C級スニーカーの魅力

日本全国の商店街にも足を運び、C級スニーカーを発掘

C級スニーカーはスニーカーショップや古着屋以外の場所で出会うこともあります。商店街やリサイクルショップ、文房具店やおもちゃ屋。色々とアンテナを張り巡らせていくと、偶然の出会いがたくさんあります。紳士靴だけを取り扱う古き良き下町の靴屋に、MADE IN USAの変わった柄のコンバースが大量に眠っていたこともありました。ガテン系の安全靴にも物語があるし、ニセモノを作ってるブランドにも、あえて本物と同じにしない工場のプライドを感じることがありました。



名もなきスニーカーとの運命的な出会いに僕は、毎回ストーリーを感じます。





ここまで読んでくださった方はやっぱりメジャーブランドでいいや……と思っているかもしれませんが、例えばメジャーブランドと同時期を生きたマイナーブランドも同じ時代の空気を吸っていて、メジャーブランドと同じぐらい魅力的なオーラを放っています。



今でこそ日本では普通に買えますが僕は「サッカニー」というブランドが大好きです。80年代にアメリカのスポーツ雑誌『ランナーズワールド』*4で最高評価をとったC級スニーカーの「JAZZ」というモデルは今や街で気軽に買えるB級スニーカーになりました。C級を知りB級を履く、B級をきわめてA級を目指す。こんなストーリーとともにスニーカーを履くと、1足に対する愛着のわき方も変わると思います。


UCLAなどカレッジシリーズのスニーカーを製造していたプレップビルトはサッカニーのブランド

例えばこのUSC(University of Southern California)のスニーカー。これは70年代に南カリフォルニア大学で販売されていたカレッジスニーカーです。今見ても流行のバーガンディカラー*5で若い人たちが履いても違和感はありません。



逆に少し派手かな? と思った30~40代の方々も安心してしてください。この南カルフォルニア大学、実は元巨人の江川卓さんが「空白の1日」を起こす前年に留学していた大学で、同時期の70年代に販売されていたスニーカーなのです。誰に何を言われても"あの空白の1日騒動を引き起こす前年に江川卓さんが履いていたかもしれないスニーカー"という、うんちく小刀をひとつ胸に忍ばせておけば、竹下通りも堂々と歩けると思いませんか?



コレクションの一部を紹介

魅力を語ったところで私のコレクションの一部を紹介させてください。

「バウワー」
1927年にカナダで生まれたアイスホッケー用品を取りそろえるブランド。サイドに「Bauer」のロゴがプリントされたランニングシューズだが年代や詳細は不明。バウワーをはじめ日本になじみのないスポーツブランドは世界に多々あり、各ブランドから多くのスニーカーが送り出されている。

「I LOVE NY」
1970〜80年にかけてニューヨーク州が行った観光キャンペーンで作られたロゴ「I ♡(LOVE) NY」を用いたスニーカー。ロゴをあしらったグッズがニューヨーク土産の定番となり、日本にもグッズが入ってきていた。数年前に神戸元町にある「柿本商店」というコンバースの品揃えで有名なスニーカーショップで購入。所狭しと並ぶコンバースに隠れて、マイナースニーカーが目立たないと所に隠れているので要チェック。

「JR」
国鉄からJRになったころに製造されていた、社内用の非売品スニーカー。現在は生産されていない。国鉄スニーカーも存在するがJR東日本版スニーカーの発見率は国鉄スニーカーの1/6(JR北海道、JR東海、JR東日本、JR西日本、JR四国、JR九州の中の1つ)の確率。ベロに大きく入った「JR」のロゴが特徴で、サイドに2本ラインのあるモデルやカラーバリエーションも存在する。

「バルカン」
1950年代にドイツの軍用工場としていわゆるPX品*6のスニーカーを作っていたスロバキア最大のシューズファクトリーのオリジナルスニーカー。サイドにある2本のラインをベースにし、アッパーはキャンバスやスウェード、ソールはガムソールで白や黒などのバリエーションがある。どういう流れなのか先日おしゃれな雑貨屋さんで"スロバキア生まれの素朴なシューズ"という手描きポップと一緒に売られているのを目撃した。

「オサガ」
1970年代に生まれたアメリカのスニーカー。カラーバリエーションが豊富にあり、サイドに流線型のストライプラインが入った「KT26」が有名で、同モデルは「ランナーズワールド」でも最高評価を獲得したことも。上の写真は一般公募から生まれた矢印マークを採用した、通称「ベクトル」。オサガは後にアヴィア*7に吸収され現在はダンロップの傘下にあるらしい。このスニーカーを履きだしたあたりから世界のマイナーヴィンテージスニーカーに対しての想いが強くなったきた。<

コレクションすること=未知を知る事

スニーカーに限らず、集めるという行為は心が豊かになると思っています。なんでもかんでも集めるのではなく、何かに熱中し深く心をそそぐ行為は大切なことです。3個でも1000個でも集めていることを意識して、その人の意思で買って心が喜んでいるなら、それはコレクションだと思います。コレクションする事で分かることもあるし、極めることで気づくことがあります(失うこともあります)。


最近になってスニーカーは履いてなんぼだな……と今更ながら全く履けないサイズのスニーカーの山を見て反省していますが、ここまで買っても、まだまだ知らないことだらけなので、今後もついつい変わったスニーカーを見つけたら買うことになると思います。



あなたが街で出会い買ったスニーカーはとてもカワイイと思います。でも地球の裏側にあなたをトリコにしてしまうようなスニーカーがあるかもしれない。今はインターネットもあって自分で選べる時代だからこそ、たくさんの選択肢の中からあなたに合った1番のスニーカーを見つけてほしいです。

グラフィックデザイナー・アートディレクター。 グラフィックデザインから商品企画など幅広く活動。趣味が高じて古物の販売も手がける。 C級スニーカーと命名したマイナースニーカーコレクションを始め、ラーメン屋の店主の顔が印刷されたカップ麵のフタを顔ジャケラーメンと命名し収集するなど個性的なコレクションが多い。個人的趣味趣向で集めすぎた古物コレクションを自分より大事にしてくれる人に譲るという生前整理イベント「個物」を各所で開催。

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*1:スーパースター、スタンスミス、カントリーといった代表的なモデルはアディダス・ドイツではなく、アディダス・フランスから企画・発売されたもので、それらのオリジナルにこだわると最終的にMADE IN FRANCEにたどりつく
*2:比叡山山内で行われる、天台宗の回峰行(聖地を礼拝して回る修行)の1つ。満行者は「北嶺大行満大阿闍梨」と呼ばれる。文中では苦行の意
*3:ウレタンゴムと水が反応し生成物に分解する反応。ウレタンゴムは強磨耗性により靴底のパーツに使用されることが多いが、水分に弱く、加水分解を起こし靴底が割れてしまうことが度々発生。加水分解してしまうと修復が難しい
*4:約50年続いている、世界的にも権威あるアメリカのランニング専門誌
*5:英語ではバーガンディ(burgundy)、フランス語ではブルゴーニュ(bourgogne)とも呼ばれる、ワインに由来する色。ワインレッドよりも若干暗く、茶色味が強い
*6:駐屯地内の委託売店(PX)で販売されている訓練用品(個人装具類)の総称のこと
*7:フィットネスシューズで有名なアメリカのブランド

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