予算500円で制作から販売まで 好きな表現をパッケージ化できる「ZINE」の魅力
皆さま、はじめまして。Mistと申します。普段は仕事にくたびれて、古い音楽を聴きながら夜ごとお酒を飲んでいるばかりで、これといった活動はしておりません。一応、「或るロリータ」というブログがございますが、気が向いたときにだけ、取り留めのないことをつづっているのみ。
そんな中、何がどう巡り巡ったのか、この度「趣味とお金」というテーマで寄稿のお誘いをいただきまして、聞けば私がいつぞや制作した「ZINE」について書いてほしいとのこと。
確かに私はこれまでに2冊、小冊子を販売(というほど売れてもいませんが)しておりますが、それもほとんど身内に向けて作ったような趣味全開のもの。こだわりをつぎ込んだとはいえ、意外と手間はかかっていません。
ZINEの制作というと難しく感じるかもしれませんが、この記事を通して「ZINEってこんなに軽いノリで作れるんだ!」と思ってもらえるとうれしいです。また、1人でも多くの方にとって、内に秘めた情熱を形にしたくなるきっかけになれば幸いです。
写真を撮る楽しさに目覚めた夏
ZINEを作るに至った最初のきっかけを辿ると、今から3年ほど前の2015年夏までさかのぼる。あの夏、私は初めてデジタル一眼レフを購入した。それまでは高校生のころに買ったコンデジでときどき写真を撮っていたものの、どこか物足りないと感じていたのだ。多くの人がデジタル一眼を持ち始めていたこの頃。周りを見ればみんなかっこいい写真ばかり撮っていて、「自分もあんなふうに背景をボカした写真が撮りたい!」と思った。
いかにも形から入る人間ともいえるが、それは決して悪いことばかりではない。私は一眼レフを手に入れたことで、写真を撮る楽しさに目覚めたのだから。そしてこの「とりあえずやってみたい!」という好奇心が、後のZINE制作につながっていく。
一眼レフを手にしてからは、家の中でも外でも、あらゆる雑多なものを撮りに撮りまくった。食事に行けばいろいろな角度から写真を撮り始めてなかなか箸を付けないし、旅行先では数メートル歩くごとに立ち止まり、見知らぬ街角のあれこれを記録し始める始末。周りの友達をうんざりさせるほどだった。
一方で、文章を書くことも好きだった。晩酌のアルコールがいい具合に回り始めると、毎晩のようにポエミーな文章をTwitterへ垂れ流していた。そのうち活動の場を広げるようになり、酔っぱらったときはnoteへ、しらふのときははてなブログへ文章を投稿していた。
かと言って、大きな志や伝えたいテーマはなく、純粋に写真を撮ることと文章を書くことを楽しんでいるだけだった。「いいのが撮れた、noteに載せよう!」「いいのが書けた、はてなブログに載せよう!」の繰り返しで、ネットは私にとってより自由な、肩の力を抜いてアウトプットできる場所となったのである。
初めてのフォトブック制作で、「形」にする楽しさを知る
書きためたものや撮りためたものが増えれば増えるほど、「せっかくだからもっといろいろな形で表現したい」と思うのは自然なこと。私も例に漏れずそんな自己顕示欲が膨らみきって、ネットに投稿するだけでなく、何か形に残るものを作りたいと考えるようになった。
そこで見つけたのが、Appleのプリントサービスだ。なんと、Macに保存した写真を現像できるだけでなく、フォトブックとして製本することも可能だという。眠っている写真の中から、好きなものを好きなように選んで、それらしい文章を添えるだけ。「え? こんなに簡単にできちゃうの?」と驚いた。
1冊作るのに数千円かかるだけあり、完成した初めてのフォトブックはハードカバーで大判の超豪華仕様となった。世にあふれる写真集を見よう見まねで作ったものだったが、これならどんな作品でもそれなりに様になるはずだ。
こんなものを作ってしまったら、やっぱり他人に見せたくなるのも無理はない。友達との飲み会で、みんなが酔っぱらってきた頃合いに、鞄に忍ばせておいた写真集をそっと取り出す。「実はこんなの作ってみたんだけど……」と見せてみると、予想以上の食いつきだった。「すごすぎる」「レベル高すぎる」と、まるで何かの偉業を成し遂げたかのような称賛の嵐。もっとも、本という「形」になっていたことでレベルが高く見えていたというのは言うまでもない。
やはり、写真を画面上で眺めるのと、形になったものを手に取って眺めるのとでは、受け手の味わい方も異なってくる。本を手に取ったときの重み、開いたときの匂い、紙の質感、ページをめくる作業など、あらゆる感性が働くからだ。
写真や文章にそれほどこだわりがない人でも、ぜひ一度は本にしてみることをおすすめしたい。制作過程は一般的なフォトアルバムよりも簡単なくらいなのに、何気ない家族写真さえ1つの「作品」になって、何度も見返したくなるはずだ。
故郷で過ごした夏の思い出を「ZINE」で残したい
一眼レフを手に入れて初めてフォトブックを作ったあの夏は、地元の九州で4年ほど続けていた仕事を辞め、上京することが決まっていた時期でもあった。故郷を離れるのはとにかく淋しかったから、最後にこの場所でしかできないことをひたすらやってから出て行こうと思った。その中の1つが、九州を巡ることだった。
思えば、20年以上も住んでいたのに、ろくに九州のことを知らなかった私。お金はないが時間だけはある今のうちに、東京にはない景色を自分の目で見届けておきたいと思ったのだ。「青春18きっぷ」を使って熊本・長崎へ鈍行列車の旅に出掛けたり、おんぼろの軽自動車を運転して弾丸で宮崎・鹿児島へ訪れたりした。
どれも完全に一人旅だったから、相棒は買ったばかりのカメラだけ。しかし、孤独で不安な遠い街も、レンズ越しに切り取ってしまえば、たちまち1つの作品になる。カメラを買って初めての夏ということもあったけれど、撮ることが何より楽しくて、ひと夏でカメラのメモリーがパンパンになるほどの写真を撮った。
そんな夏を終えた私は、無事に上京を果たす。つい先日まで九州を旅していたことが嘘のように思えるほど、せわしない毎日だった。しかし、都会での日々でも欠かさずにカメラを持ち歩いては、何気ない街並みにさえパシャパシャとシャッターを切った((撮影の際は、その撮影場所のルールを守ることが最重要である。建物や商標の写り込みについても、権利者の許諾が必要な場合があるため、ZINEで使用する場合は事前に確認しておくこと。また、風景写真の場合も他者の肖像権を侵害していないか注意する必要がある))。
一方、仕事の不安や一人暮らしの淋しさなどは、文章にしてネット上でアウトプットした。何もかもが新しくて目まぐるしい日々の中では、余計に故郷のことが思い出された。
故郷を離れる最後の夏という、きっと今後の人生にとっても特別になるであろう季節のことを、このままTwitterやブログに放り投げるだけでよいのだろうか。それまでの夏と、これからの夏と、同じように時間とともに流されてしまってよいのだろうか。
そのときに思い浮かんだのが、上京前に作ったフォトブックの存在だった。
この夏の思い出を本にしよう。そしてどうせなら、見つけさえすれば誰でも手に入れることのできるように販売してみよう。
自分の人生にとっても1つの節目となったこの年に、再び私は形として残るものを作ろうと決めた。それは単純に、本を作ることの楽しさをもう一度味わいたかったというのが大きい。でもそれ以上に、自分の作ったものを誰かに見てもらうこと、あわよくば反応をもらえることの喜びが忘れられなかったのだ。言うなれば承認欲求である。
もちろん無料で配るという手段もあるけれど、作れば作るほど赤字になっていく作品は、いつか作り手が破綻してしまう不健康なことだと考えていた。だから、たとえ売れなくても「値段をつける」ということには意味があるはず。
……と、大それたことを言いながらも、果たして自分の作品に少ないながらもお金をいただく価値はあるのかという不安は拭えなかった。それでも「売れなくて当たり前だし、もし売れたとしたらラッキーだし、買ってくれるような人はきっと物好きのお人よしに違いない」という気持ちで、とりあえず作ってみることにしたわけだ。
制作から販売までをワンコインで 手軽なZINE作り
そもそも、ZINEという言葉をここまで耳にするようになったのは最近のこと。流行り言葉やネットスラングに疎い私は、今回の寄稿のお誘いで初めて「私が作ったのはZINEだったのか!」と思ったくらいだ。ZINEとは「リトルプレス、小冊子、同人誌」を指すのだとか。英語にするとオシャレなイメージがあって照れくさく、自分で作ったものをそう呼ぶのははばかられるのだが、郷に入っては郷に従い、今回に限ってはZINEということにして語らせていただきたい。
ZINEと一口に言っても、その制作方法はさまざま。印刷したものをホッチキスで留めるだけの簡単なものもあれば、商業誌と変わらないようなクオリティーのものもある。私は面倒くさがり屋なので、なるべく製本作業には手をかけずに済むよう、そしてそれなりの見栄えのものができるように、印刷会社のサービスを利用することにした。
できればワンコインの500円で販売したいと思っていたので、それ以下の料金で作れる印刷会社を探していたところ、偶然発見したのがオンライン写真プリントサービス「しまうまプリント」だった。同サービスのフォトブック制作コースでは、印刷代だけだと一番安くて200円ほど(2018年3月時点)で本が作れてしまう。恐ろしい時代になったものである。
今回は、A5スクエアというCDジャケットくらいのサイズ(148ミリ×148ミリ)で製本することにした。約36ページ収録したので、印刷代は1冊あたり300円程度。そこに注文を受けた際の送料と、販売に利用したnoteのサービス手数料などを含めると、1冊当たりの売価を500円にしてもギリギリ赤字が出ない設定となる。
オンデマンド印刷なので基本的に注文の度に印刷でき、何冊刷ろうが1冊当たりの単価は変わらない。在庫を抱えることもなく安心だ。また、1冊の注文ごとに郵送先を指定できるので、購入者の了承を得られれば「しまうまプリント」から直接届けてもらうことも可能である。自分で発送作業を行う手間も省ける上、送料が一度しかかからないのでコストも削減できるというわけだ。
さらに「しまうまプリント」だと、写真のレイアウトもブラウザ上で操作できる。使いたい写真をアップロードして、好きな順番に配置していくだけ。1ページに複数の写真を入れたり、1枚の写真を見開きで使用したり、好きな文章を入れたり。レイアウトの種類も豊富だから、楽しくて時間を忘れてしまう。ブログを更新するような感覚で、簡単に本が作れてしまうのだ。
ああでもない、こうでもないと写真を並べ替え、つたない文章を添えていくうちに、1冊目のZINE『青にまみれて』が完成した。
販売ルートを持っていなかったので、とりあえずブログにZINEの紹介記事を載せ、Twitterで「こんなの作ったよ~」とぼそっと呟いた。すると、怖いもの見たさだろうか、ありがたいことにその日だけで10人以上の方から購入の申し込みがあったのだ。
特にうれしいと感じた瞬間は、購入の申し込みをきっかけに、応援のお言葉をいただいたときだった。中には「いつもツイート読んでいます」「Twitterで絡んでみたかったけど、今まで話しかけられなかった」といったメッセージも。ただただ感涙である。それらのメッセージに返信する時間が幸せだった。
もう1つ印象的だったのは、届いたZINEを自身のTwitterで紹介してくれた人がいたとき。これも恥ずかしかったがうれしかった。自分の思いつきで動き出して、右も左も分からないまま作ったものが、日本のどこかの、誰かの手元に届いたのだという実感があらためて湧き、しばらくドキドキが止まらなかった。
作るだけならともかく、公開して、さらにお金を出して買ってもらうとなると、何よりも迷いや不安が大きい。ずっと気が気ではなかったけれど、手に取ってくれた人たちの反応を見て、初めて「やっぱり作ってよかった」と思えた。
ちなみに、このZINEのおかげで実生活にもささやかな影響があった。もちろん、大きな仕事につながった……なんてことはなかったけれど(強いて言えば今回の寄稿がそうだ)何人かの方に飲みに誘ってもらう機会が訪れたのだ。いつも生活感のないツイートばかりしている謎のポエマー(?)がどんな人間なのか、と好奇心をくすぐる部分があったのかもしれない。
そのうちの1人とは、今でも定期的に遊んだり、一緒に旅行をしたりするような仲になった。上京してから友達と呼べる友達ができていなかったから、これは非常に大きな変化だったと思う。
最大の魅力は、自分が表現したいものをパッケージ化できること
ZINE作りの楽しさに目覚めた私は、2冊目も作ろうと考えた。1冊目とは違うパターンのものにしたかったため、写真ではなく文章がメインのものにした。テーマは「夜」と「孤独」。内容は、過去に書いて行く当てのなかった小説や、時の流れに埋もれていったツイートの数々をコツコツと選び出して構成することにした。これをいつか1冊にまとめるのだと秘かに計画を立てていくうちに、構想期間は1年以上にもなった。
せっかくなので、今回は写真や文章といったコンテンツだけでなく、そのもう一回り外側のデザインにも手を出してみようと考えた。一度うまくいくと、人は調子に乗ってしまうものである。しかし、自分で書いた文章を好きなようにまとめられる上に、好きなデザインで形に残すことができるのだ。大変ではあるが、これが楽しくないはずがない。
少しだけかじったことのある組版ソフトを操りながら、小さなノートパソコンの画面に向き合う日々。後にも先にもあんなに自分の文章とにらめっこした瞬間はないだろう。文字だけのページはまだしも、表紙や目次といった、ある程度のビジュアルセンスが求められるページはさらに神経質になった。「本当にこれでよいのだろうか」と家中の本をめくっては考え、人様の手に渡っても恥ずかしくないものを作ろうという一心で、毎晩少しずつ作業を進めていった。
今回はサービス側で指定されたフォーマットに当てはめるのではなく、専用のソフトを使って一から入稿データを作り、印刷会社へ納品するという方法をとった。制作の難易度は当然1冊目よりぐんと上がったが、自由度は大きく広がった。判型も、使用する紙も、自由に決められる。だからこそ、真の意味で「生み出した」という感覚を味わうことができた。
ZINE作りの特徴は「やろうと思えばすべて1人でやれる」ところにある。そこに社会的なしがらみや商業における縛りはない。
プロのカメラマンや作家に比べると、私の写真や文章に特別優れているものはない。しかしこれまでの人生のように、ただ写真を撮り続けて、文章を書き続けているだけでは、一から何かを作り上げるという喜びは味わえなかっただろう。
また、ZINE作りの最大の魅力は、自分の表現したいものをパッケージ化できるという点だ。文章を書いたり、写真を撮ったり、デザインしたりと、いろいろな楽しさを少しずつ集めて、好きなところをつまみ食いしながら作ることができる。
言ってしまえば「中途半端」「器用貧乏」という言葉が似合う人ほど、実はZINE作りに向いているとさえ思うほどだ。この、向いている向いていないというのは、もちろん、クオリティーの高いものや、ヒットするものを作れるという意味ではない。私はそのどちらも満たしてはいないけれど、少なくとも「赤字を出さずに楽しむ」ことができている。その上で、1人でもいいから自分以外の人に届けたいという目標も叶った。そう、趣味においては、これ以上何も望むことなどないだろう。
さあ、今すぐZINEを作ろう
というわけで、つらつらと私がZINEを作った経緯をお伝えしてみました。どうです、そんなに大したことじゃなかったでしょう? でも、その大したことはないというのが、ZINEのよさでもあります(もちろんすごいものを作っている人もいっぱいいますが)。
なんとなく文章を書いているけど、新人賞に応募するほどの根性はない人。プロになりたいわけじゃないけど写真が好きで、フォルダがふくらみ続けている人。デザインに興味はあるしやってみたいけれど、携わる機会のない人。だけど、表現したいという欲求を捨てきれない人。
そんな人にこそ、私はZINE作りをおすすめしたい。ZINEは、人から声がかかるのを待っていなくても、表現の場を自ら作り出すことのできる場所。そしてそれを、簡単に誰かに伝えることのできる手段。
商売の才能がないからとか、在庫を抱えて赤字がどうとか、そんな心配は無用です。今はワンコインから、1冊から始めることだってできるのだから。
個人的なものを人様に押しつけるなんておこがましい? 大丈夫です、興味を持ってもらえなかったら売れないだけですから(むしろ私は商業誌ではお目にかかれないような作品の方が好きだったりする)。
本気でやってもいいし、とにかく自分に甘くてもいい。好き勝手に、自由に、軽い気持ちで手を出せるのがZINEの強みです。自分の内側に眠っていたものを、つたないながらもパッケージ化して送り出せる。作る過程の楽しさはもちろんですが、完成したものを手に取った瞬間の喜びは、一度味わってみて損はありません。
そうと決まれば次の土日は、写真フォルダとツイートの整理ですね。早ければ1週間後には、あなただけの1冊がこの世界に誕生しているかもしれませんよ。
酔った勢いでネット上にポエムを晒すことを青春への代償としつつ、日々もがきながら思い出のプールに浮かび、貧困生活との格闘にキーボードの上でタップダンスを踊ってみたりする永遠の少女。泳げないくせに海が好き。いつか日本の四季をすべて夏にしようともくろんで、ノスタルジーの匂いのする香水をそこかしこにふり撒いている。