三度の飯よりカメラレンズ 10カ月で100万円以上使うまで「レンズ沼」にハマった話
「レンズ沼」という言葉を、皆さんは聞いたことがあるだろうか。端的に言ってしまえば、カメラのレンズを次々と買ってしまう現象のことである。
以前、レンズ沼にハマった自分自身の金銭感覚にまつわるブログを書き、多くの反響をいただいた。ふと、自分の金銭感覚がおかしいことに気付き、自戒の念を込めて非難される覚悟で書いたはずなのだが、多くの共感を得ることができた記事である。
なぜ人はレンズに魅了され、その沼の深みにはまっていくのか。そして、その先には何が待ち構えているのか。今回は、そんな計り知れない沼の様子を、私自身の経験をもとにご紹介できればと思う。
レンズって、どれも同じじゃないの?
普段から一眼レフカメラやミラーレスカメラなどのレンズ交換式カメラに触れていない人にとって、レンズは一見、どれも同じように見えるかもしれない。だが、実際にはさまざまな違いがある。
まずは「焦点距離」という、写真に写る範囲(画角)の違い。画角は「35mmフルサイズセンサー」で撮影した際のレンズの焦点距離で表される。
フルサイズの他に代表的なセンサーサイズとして「APS-Cサイズ」「マイクロフォーサーズ」などの規格も存在する。センサーサイズによって焦点距離と画角の比率が変わるので、画角を表す際は35mmフルサイズに換算するのが一般的だ。
焦点距離の数字が大きければ大きいほど、遠くのものをより大きく写せるということだ。例えば840mmのレンズだと、めっちゃ遠くのものもめっちゃ大きく写せるのである。
焦点距離をレンズの範囲内で自由自在に動かせるのが、ズームレンズだ。フルサイズ機で使用するレンズが「24-70mm」という表記の場合は、その通り24mmから70mmまで画角を自在に変化させることができる。一方、単焦点レンズでは、表記された焦点距離でのみ撮影できる。
また、レンズの明るさを示す指標として「F値」がある。F値が小さいほどレンズから入る光の量が増え、より早いシャッタースピードで撮影することができる。F値の最小値はレンズのスペックによって決まる。
さらに、F値が小さいとピントの合う範囲(被写界深度)が狭くなるので、背景と手前側のボケる範囲は広くなる。すなわち、明るいレンズ(F値を小さく設定できるレンズ)を使えば、いかにも一眼カメラで撮りました! というような大きなボケが写しやすくなるのだ。逆に言えば、全体にピントが合っている、いわゆるパンフォーカスという状態にしたいなら、絞り(光の量を調整するための穴)を絞ってF値を大きくしてから撮影する必要がある。
簡単にレンズの仕組みを説明したが、これだけでもさまざまな魅力と選択肢、そして必要性があるというのが分かる。さらに、一般的には欠点として扱われるのだが、像が滲んだり歪んだりする収差や、画面の周辺が薄暗くなる周辺減光も大きな魅力となり得る要素だ。フレアやゴーストやボケの形状、描写の甘さや硬さ、色ノリなど、さまざまなクセや個性も楽しめる。
私をはじめとする沼の住人たちは、こうしたレンズの奥深さに魅了され、次々と沼の深みへ誘われていくのである。
ズームレンズを手に入れて、沼のほとりに立つ
ここからは、自分がどういった経緯でレンズ沼のほとりに立ち、どのように深みにはまっていったかを振り返りたいと思う。
最初にレンズ交換式カメラを手に入れる場合は、レンズがセットになったレンズキットを購入することが多いのではないだろうか。多分に漏れず、自分もそうであった。
もうかれこれ10年以上前の話になるのだが、私が最初に手にしたのはEOS Kiss Digitalだった。キヤノンがエントリー(初心者)向けに販売した最初のデジタル一眼レフカメラだ。自分にとっては、フィルムカメラも含め、これが初めて手に入れたレンズ交換式カメラだった。
購入したのは、標準ズームレンズと望遠ズームレンズが同梱された、いわゆるダブルズームキット*1というセット。写真はコンパクトデジタルカメラで撮ったものとは別次元の美しさで、撮影するのが楽しくてしょうがなかった。大半は旅行や家族をフルオート(全自動)モードで撮った記念写真だったのだが、その写りにただただ感動していた。
すぐにカメラ熱が高まり、その後、中級機であるキヤノンのEOS 20Dに買い換えた。付属のキットレンズは、手ぶれ補正も備わっていて、単品で買えば結構なお値段がするものだった。
ちょうどこの頃から、イベントなどで撮影を頼まれることが多くなっていた。しかしある時、そのキットレンズで撮った集合写真を見て、愕然(がくぜん)とすることになる。写真の端にいた人の顔がきちんと解像されておらず、識別できなかったのだ。
今考えれば、F値をもう一絞りして解像度を上げるとか、広角端(焦点距離を最も短くした状態)は避けるべきだったとか、いろいろな対策が浮かんでくるのだが、当時は「それなりのカメラとレンズで撮影したのに……」とショックでしょうがなかった。
「キットレンズって、こんなにしょぼい写りだったのか!」という不満が込み上げてきた私は、キットレンズを売り、ズーム全域でF2.8の開放値を持つ、いわゆる大三元レンズ*2の標準ズームレンズを購入した。それはもう素晴らしかった。一絞りで画像の隅まで解像し*3、絞り開放で豊かなボケを作れば、やわらかでなんとも表現力のある官能的な画が表れる。
この時、初めて「その場の空気まで写る」という言葉を実感した。いまだにその空気が何なのかは説明できないのだが。今までの写真はなんだったのだろうと思えるほどだった。
この標準ズームレンズを手に入れてから、レンズの奥深さに魅了されていくことになったのだ。そう、気付けば私は沼のほとりに立っていた。
また同じ時期に、キヤノンのEF50mm F1.8 IIという単焦点レンズにも出会った。何がきっかけだったかは記憶が定かではないが、新品でも9,000円程度という価格もあり、気軽に購入してしまったのである。
沼のほとりに立っていただけのはずが、目を閉じてゆっくりと前進し、沈みつつある。今でも確信している。このレンズが全ての始まりだったんだと。EF50mm F1.8 IIはまさに、安価ながら沼へと引きずり込む「まき餌レンズ」なのだ。
手放したキットレンズも当時は8万円くらいした記憶があるのだが、EF50mm F1.8 IIはたった9,000円にもかかわらず、恐ろしいほどの表現力を持っていた。絞り開放でのボケはこれまで見たことがないほど大きくとろけて美しく、一方で絞りを絞ればとてもシャープでコントラストの高い描写になる。この単焦点レンズの描写力を知ってしまえば、誰しも沼の深みへどんどん進んでいくことになってしまう。
EF50mm F1.8 IIをはじめとするキヤノンのEFマウントレンズは、ユーザーが多いこともあり、市場に出回る中古レンズの数も多かった。なので、比較的安くさまざまなレンズの個性を楽しむことができる。私自身も、割とスローなペースで魚眼、広角、マクロ、中望遠などをコレクションしていたように思う。
白くて長くて大きい、大砲のようなレンズを見たことはないだろうか。そう、スポーツイベントなどでプロのカメラマンたちがずらっと並びながら構えている、あのレンズだ。キヤノンユーザーとしては憧れでもあるので、やはり1本は“白レンズ”を所有しておきたい。そんな思いがふつふつと湧き上がり、こちらも当然のように購入してしまうこととなる。
自分で撮影し、その色ノリの良さとボケの滑らかさを初めて目にした時の感動は、高級レンズを信仰させ、上半身まで沼に沈むことを厭わなくさせるのに十分であった。
ここまでキヤノンばかり愛用してきた私だったが、ある時、当時使用していたEOS 6Dのボディ性能に不満を感じるようになる。とはいえ画質そのものには全く不満はなく、むしろフルサイズセンサーならではの繊細な描写や、高感度でもノイズが少ない性能はとても気に入っていた。しかし、動いているものに対してのオートフォーカス(AF)や連写性能に、だんだんと物足りなさを感じるようになったのである。
そして程なく、10数年使用してきたキヤノンのカメラ2台とレンズ15本を全て売り、オリンパスへとシステム変更をすることになる。それが今から約1年前の話。ここから加速度的にレンズ沼へとハマっていった。
キヤノンからオリンパスに買い替え、沼へハマるスピードが加速
なぜオリンパスに移ったかというと、金額の面が大きい。キヤノンのフルサイズ機で同等のAFと連写性能のものをそろえようとすると、カメラボディだけで70万円近くにもなるのである。この金額は、自分にとって現実的ではなかった。
そう思っていた直後に、マイクロフォーサーズという小型センサーながら飛び抜けた性能を持ったOM-D E-M1 Mark IIがオリンパスから登場したのだから、関心を持たずにはいられなかった。性能を調べ、作例を漁り、購入試算をしていくうちに、必然のごとく買い替えてしまったのである。
ちなみに、各カメラメーカーによって、レンズマウントの規格はそれぞれ違う*4。本来の性能を発揮するには同一規格の製品を使用しなければならないため、使用メーカーを変えるということはとても大きな決心が必要で、経済的負担も大きいのである。
もちろん、異なるメーカーのカメラを並行して使う「多マウント」で複数の沼に同時に浸かる方法もあるが、ただでさえ深い沼がさらに広がってしまうので、初心者にはオススメできない。
私が最初にカメラボディとセットで購入したのは、オリンパスのM.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PROという高倍率ズームレンズだった。このような高倍率のものは「便利ズーム」などと呼ばれている。
一般的には便利さとトレードオフで描写がイマイチな“はず”なのだが、このレンズは違った。絞り開放からズーム全域までキレキレの描写なのだ。そのキレ具合は、今まで使ってきたキヤノンレンズのどれよりも次元が違う素晴らしさで、周辺部まで整った描写だった。
しかも、本体とレンズそれぞれの手ぶれ補正機構が連動した驚異の5軸シンクロ手ぶれ補正もあり、夜間に適当に撮影しても振れ知らずという恐ろしさ。これで、オリンパスのカメラとレンズに全幅の信頼を寄せることになった。
2017年3月:OM-D E-M1 Mark II+M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO……34万円
この他、ボディと同時に超広角ズームレンズのM.ZUIKO DIGITAL ED 7-14mm F2.8 PROというレンズも購入していた。これも大変素晴らしいレンズであった。
2017年3月:M.ZUIKO DIGITAL ED 7-14mm F2.8 PRO……11万9,800円
オリンパスのPROレンズは、レンズ鏡筒の剛性感も素晴らしいのだが、何よりもこの金属製ボディの質感がたまらなかった。ズームリングやピントリングまで金属製で、指先に程よくグリップし、伝わってくる冷たい感触が、いかにもメカを操っているという幸せな気持ちにさせてくれた。
軽量化と実用性を重視した他メーカーのレンズとは、手に取って所有する喜びが大きく違っていたのだ。今まで手にしたレンズで質感がこれを超えるのは、レンズ好きなら誰しもが知るブランド、カールツァイスのマクロプラナー50mm F2ぐらいではないだろうか。
すっかりオリンパスレンズに魅了されてしまった自分は、この2日後、また新たに2つのレンズを注文してしまった。その1つは、大三元の望遠ズームであるM.ZUIKO DIGITAL ED 40-150mm F2.8 PRO。これはもう遅かれ早かれ買うことは間違いないと確信したので、金銭感覚が麻痺しているうちに注文してしまった。
もう1つのM.ZUIKO DIGITAL ED 30mm F3.5 Macroについては、当時のシステム入れ替えの全予算からすると誤差程度の金額に感じてしまい、ほんのついでに買ったものだ。しかし、これはその価格から想像できないほどの素晴らしい描写を見せるレンズだった。
2017年3月:M.ZUIKO DIGITAL ED 40-150mm F2.8 PRO+M.ZUIKO DIGITAL 1.4x Teleconverter MC-14(中古)……13万800円
2017年3月:M.ZUIKO DIGITAL ED 30mm F3.5 Macro……2万9,160円
M.ZUIKO DIGITAL ED 40-150mm F2.8 PROで撮影
そして、カメラの設定もままならない中ではあったが、M.ZUIKO DIGITAL ED 40-150mm F2.8 PROで初めて撮影したメジロと梅のコラボレーション「ウメジロー」にて、その羽毛の綿密でシャープな描写にやられてしまった。紛れもない神レンズだ。
マイクロフォーサーズはセンサーサイズが小さいので、フルサイズセンサーと同じ画角にしようとするとレンズの焦点距離が短くなり、ボケの量が少なくなる*5。
逆に言えば、小さいF値でも広い被写界深度(ピントが合う範囲)が得られ、より締まった描写で撮影できるのだが、ポートレートなど柔らかな描写を表現したい時には物足りなさも感じていた。
すると、やはり最小F値がより小さく、ボケが得られやすい大口径単焦点レンズに手を出すこととなる。マイクロフォーサーズにはそうした弱点を補うためか、F1.2前後のレンズも多数ラインアップされており、中にはF1.0をも下回るF0.95という明るさのレンズもある。
そして私は、M.ZUIKO DIGITAL ED 25mm F1.2 PROという、35mm換算で50mmとなる*6単焦点標準レンズを購入した。OM-D E-M1 Mark IIの購入から、わずか3カ月後の出来事である。
さすがにF1.2の大口径とあって、大きくて滑らかなボケを描写してくれた。大口径レンズによくありがちな、開放した際の甘過ぎる描写などは見られず、絞らずとも端正な絵作りが実現できた。
2017年6月:M.ZUIKO DIGITAL ED 25mm F1.2 PRO(中古)……10万1,980円
しかし不運なことに、M.ZUIKO DIGITAL ED 25mm F1.2 PROは購入時点で故障箇所があったため、カメラボディとともに修理へ出すことになった。その間、全くカメラがないというのも困るので、サブ機としてパナソニックのLumix GX7 Mark IIを購入したのである。
それにはLEICA DG SUMMILUX 15mm / F1.7 ASPH.という、ものすごく小さいのにしっかりとした金属製で、質感も良く、色ノリが濃くて艶やかな描写を見せるレンズがセットになったレンズキットがある(私はのちに中古にて購入)。パナソニック製とはいえ、泣く子も黙るライカ(ドイツの有名カメラブランド)なのだ。
オリンパスとパナソニックという異なるメーカー間でレンズをそのままオートフォーカスで使えるのがマイクロフォーサーズの醍醐味でもある
その後オリンパスから、M.ZUIKO DIGITAL ED 45mm F1.2 PROという大口径単焦点シリーズの新製品が発表された。マイクロフォーサーズの大口径単焦点レンズの有用性を知ってしまった自分は、当然のごとく購入の検討を始めた。
しかしこの時、私には他にも気になるレンズがあったのだ。パナソニックがライカブランドとして以前から販売していた、LEICA DG NOCTICRON 42.5mm / F1.2 ASPH. / POWER O.I.S.というレンズ。このレンズを使用している方の作品がとても印象深く、いつか手に入れたいと憧れていた。
M.ZUIKO DIGITAL ED 45mm F1.2 PROとLEICA DG NOCTICRON 42.5mm / F1.2 ASPH. / POWER O.I.S.の画質を、比較サイトで入念にチェックする私。当初の憧れに加え、LEICA DG SUMMILUX 15mm / F1.7 ASPH.で“パナライカ”(パナソニックが出すライカのレンズの略語)の魅力を肌で感じていたこともあり、迷った結果、LEICA DG NOCTICRON 42.5mm / F1.2 ASPH. / POWER O.I.S.を購入することに。これで撮影する写真は、パナライカらしく官能的で濃密な描写であった。
2017年6月:Lumix GX7 Mark II+ダブルレンズキット……6万3,800円
2017年9月:LEICA DG SUMMILUX 15mm / F1.7 ASPH.(中古)……3万9,580円
2017年11月:LEICA DG NOCTICRON 42.5mm / F1.2 ASPH. / POWER O.I.S.(中古)……9万4,680円
オリンパス最高峰のマイクロフォーサーズレンズとして、M.ZUIKO DIGITAL ED 300mm F4.0 IS PROという、35mm換算で600mmの超望遠レンズがある。焦点距離を1.4倍に伸ばすことのできるテレコンバーターを併用すると、35mm換算で840mmが実現する。
オリンパスのマイクロフォーサーズレンズで最高の超望遠画質を得ようとすると、これしかないのである。お値段も最高峰だが、当然購入した。使用頻度が高いわけでもなく、ただ試してみたいという思いが8割方を占めていたのに、だ。
しかし、このレンズでしか撮れない絵があるのだから買うしかない。ここにきて、自分が沼に浸かっていることを実感した。それも、すでに鼻の穴だけがかろうじて沼から出ている状態になって、ようやくである。
2018年1月:M.ZUIKO DIGITAL ED 300mm F4.0 IS PRO……23万8,000円
というわけで、このわずか10カ月の間に、カメラ・レンズだけで総額115万7,800円も注ぎ込んでいた。今、書きながら計算したことを後悔しているのは言うまでもない。他にもちょこちょこと買っている気がするが、もう思い出したくはない。
とはいえ、最初のキヤノンシステムや、その他のカメラ・レンズを売った分を差し引けば、追い銭は半分強程度である。追い銭? いやいや、これは中古カメラ店に私のキヤノンシステムなどを預かってもらっている防湿庫での保管料といってもいいだろう。それに加え、10カ月の楽しい沼生活を考えれば、もはや実質無料である。
さらに、レンズは非常に資産価値が高く値落ちが少ないのだ。壊したり、傷をつけたり、カビを生やしたりしなければ高く売れる。そして売ったお金でまたレンズを買う。お気付きかもしれないが、これが「中古カメラ店=防湿庫」の理論である。
こんなにあれこれ買っている自分ではあるが、つい1年半前までは、レンズが欲しくてもお金を使えない状況だった。子供の大学進学だ。多くの家庭で起こるであろう、人生における三大支出イベントの一つである。
私は島根に住んでいるため、子供を東京の大学へ進学させるとなれば、かなりの経済的負担が強いられる。ましてや奨学金も教育ローンも借りられるかどうか分からない段階だったため、先を見越して支出を抑えるというのは当然の流れであった。
貯金のために食費を削るなどの節約を試みたものの、やはり節制に勤しむというのは、人間が本来持つべき好奇心のような意欲を奪ってしまうのだということも実感した。
何かをしようとした時に「ああ、お金がないからこれも買えない」「どうせこれも買えない」などと考えていると、何に対しても消極的で、無気力状態に陥ってしまいがちである。当時の自分は物欲の諦めが全てにつながってしまい、悪い方向へ転がってしまいそうだった。
そしてそれが続くと、最初から興味を持つことすら放棄……いや、拒絶してしまうのである。怖いことに、これはカメラやレンズにかかわらず、いろいろな意欲を奪っていってしまった。もちろん消費することばかりが意欲の源ではない。
ここで、一度本質に立ち戻ろう。本質は、やはり写真を撮り、作品を残すことである。カメラやレンズを買い集めることと、写真を撮ることは、本来別の嗜好である。
写真を撮るための道具にすぎないはずのカメラとレンズだが、作品を残すこと以上に魅了されてしまうことがあるのが面白いと思う。道具としての魅力が大きいからこそ、沼と呼ばれているのかもしれない。
レンズを買えない時期があったおかげで、私は写真と向き合い直し、今まで以上に撮影を楽しむことができた。これは、一度沈みかけていた、写真に対しての想いを取り戻すための良いきっかけでもあった。
それぞれの人生で、それぞれの沼に浸かる
今回はレンズ沼ということで話を進めてきたのだが、深さや広さはそれぞれに違いがあれど、「沼に沈む」という感覚はどんな趣味の世界にも共通しているものである。
他人から見れば超無駄な散財でしかない沼ではあるのだが、私は「人は誰しも、それぞれの沼に浸かるべきである」と断言したい。趣味にお金や時間、能力を費やすことは、好奇心を持続させ、心を豊かにし、感受性を高め、とても良いサイクルを生み出してくれるからだ。
沼というと金銭にスポットが当たりがちだが、お金がないなら時間を費やし、能力と行動力を発揮すれば良いのだ。好奇心を持ち、物欲を抱き、また新たな感受性を得る。そしてそれが、こうして記事にもなって誰かが楽しんでくれれば最高ではないか。
そんなレンズ沼は、私の人生における活力の源なのだ。
正直、自分が実践できているかは怪しいが、皆さんにはしっかりと自己管理をしていただき、パートナーと理解し合い、思う存分に沼の深みでもがくなり、浅瀬でバシャバシャはしゃぐなりしてほしい。きっと、沼は人生に素晴らしい彩りを与えてくれるはずだ。
アートディレクター/グラフィックデザイナー。 デザインとともに撮影技術を学ぶ。写真は仕事1割、趣味9割。キヤノンフルサイズ機を経て、現在メインカメラはマイクロフォーサーズ機を愛用。ブログにてカメラ/レンズ/写真をさらに楽しんでいただける情報を発信中。
*1:正確に言うとこの商品は、Welcomeキットという名称だった。懐かしい……
*2:ズーム全域にてF2.8の明るさが使える、広角ズームレンズ、標準ズームレンズ、望遠ズームレンズのこと
*3:絞りを絞ることでシャープになり、解像度が上がるのだが、標準的なズームレンズでは1段絞るだけでは隅まで十分解像しないことが多い
*4:オリンパスとパナソニックなどが採用するマイクロフォーサーズは、メーカーの垣根を超えた規格である
*5:同じF値なら、レンズの焦点距離が長い方がボケを得られやすい。例えばフルサイズの50mmレンズと同じ画角で撮影しようとすると、マイクロフォーサーズでは25mmレンズとなり、同じ画角でもレンズそのものの焦点距離は短くなる
*6:センサーサイズの比率から35mmフルサイズの2倍の画角に相当する