第57次日本南極地域観測隊員の私が教える、南極・昭和基地での仕事と給料の話

第57次日本南極地域観測隊員の私が教える、南極・昭和基地での仕事と給料の話

第57次日本南極地域観測隊員の、みなもとです。
2015年12月に日本を出発して、越冬隊員として昭和基地で1年余りをすごして、2017年3月に帰国するまでの様子を毎日、ブログ「世間がもし30人の基地だったら」で紹介してきました。
今回は「タロ」「ジロ」の物語だけではない、実際に私が体験した知られざる昭和基地での「仕事とお金」についてご紹介したいと思います。

南極へ「日帰り」? 

日本の南極観測隊員の多くは「しらせ」という船に乗って昭和基地を目指します。例年、11月下旬に飛行機で日本を出国し、オーストラリア大陸の南西端にある都市パースの近く、フリーマントルという港で南極観測船「しらせ」に乗り込みます。フリーマントルで観測機材や食糧の一部を積み込んで、南極に向けて出発。暴風が常に吹き荒れる海域を越えると、氷山が見えてきます。

「しらせ」で氷を突き破りながら進み、ある程度まで南極大陸に近づいたらヘリコプターで移動して昭和基地に入ります。

南極観測隊には「夏隊」と「越冬隊」の2種類あります。夏隊の昭和基地での滞在は12月下旬から2月中旬までの50日あまり。ペンギンや地質、南極の海の調査をする隊員のほか、昭和基地で建物や道路の建築作業など、夏にしかできない仕事を目いっぱいして、帰っていきます。

11月下旬から1月下旬まで、昭和基地では太陽が沈まない「白夜」が続きます。2月になれば日没もありますが、夏隊がいる間は、夕焼けだか朝焼けだか分からない薄明かりが絶えることはありません。

「今度は夏隊、日帰りだよ」というジョークもあったりします。

30人で10ヶ月を過ごす越冬隊

越冬隊は昭和基地で冬を越し、1年以上を過ごして帰ってきます。

クリスマスの頃に昭和基地に着いた後は、夏隊の隊員と一緒に「夏宿舎」で暮らして、前の越冬隊員から引き継ぎを受けたり、新しく持ち込んだ観測機器を設置したり、夏隊の建築作業を手伝ったりしながら年を越します。そして2月1日に越冬交代。昭和基地の運営が次の隊に引き継がれる日です。この日に「夏宿舎」から越冬隊の居住棟へ引っ越します。

2月の中旬に「しらせ」が昭和基地を離れます。次の船が来るまで約10ヶ月、30人ほどの越冬隊員だけで暮らします。はじめは背格好で、つづいてシルエットで、しまいには足音で誰が来たのか分かるような、濃い人間関係のなかで過ごします。

どんな仕事をするのか?

観測隊員の仕事

日本南極地域観測隊員の半分くらいは「観測しない観測隊員」です。たとえばコックさんやお医者さんが2人ずついますし、電気・水道などライフラインの整備、雪上車やトラックのメカニック、ごみや下水の処理をする環境保全担当の隊員もいます。私が参加した57次隊では、こうした基地を支える隊員が17人、気象、オーロラなど観測を専門とする隊員が12人、隊長が1人、計30人でした。

私はオーロラをはじめ、超高層の大気の観測を仕事にしていました。夜中までオーロラを見るのも仕事です。担当は2人で、2週間ごとに日勤と夜勤を交代していました。

風船には上空の気温、湿度、風向、風速等の気象要素を観測する機械がぶら下がっています。お天気のいいときは楽しげな仕事ですが、南極の強風の中での観測は危険をともなうものです。

お手伝いする仕事

担当者だけでは難しい仕事があったら、ちょっと頼むよ、と声をかけたり、ミーティングでお手伝いを募集したりして人手を確保します。これは吹雪で壊れたアンテナを修理しているところです。

高さは20mくらい。気温はマイナス20℃を下回るなかで、手動のワイヤー巻き上げ機を使ってアンテナを倒して、修理して、起こします。一般家庭の冷凍庫の温度はマイナス18℃以下となっているそうなので、我々の作業環境の温度は冷凍庫以下。かなり厳しい環境ですが、手伝ってくれる人がいて、無事に作業を終えることができました。

下の写真は、ガスボンベを交換する作業を手伝ったときのものです。

昭和基地で使う燃料は、ほとんどが軽油です。ディーゼル発電機やトラック、雪上車などたいていのものは軽油で動きます。でも、やっぱり調理にはガス台は欠かせないので、プロパンガスのボンベも日本から持ってきています。国内ならボンベが空になる前にガス屋さんが来てくれますが、自分たちでやるのが南極です。

みんなでやる仕事

自分の担当する業務の他に、「当直」と呼ばれる当番があります。当直になった日は食事の準備を手伝い、お風呂やトイレの掃除もします。

諸外国の南極観測隊では、こうした「家事」を担当する隊員がいるところもあるそうですが、日本の観測隊は持ち回りでやっています。

散髪屋さんも南極にはいないので、数人の「理髪係」に刈ってもらいます。

係の人は出発前に研修を受けて、カットやヘアカラー、パーマの基礎を学んできます。

南極で何より怖いのは火事です。南極は乾燥しているうえに、風が強い日も多いので、火事になると一気に燃え広がって、隊員全員が危険にさらされる恐れがあります。昭和基地で火災が発生したら、隊員が火を消さなくてはなりません。ホース、ポンプ、医療などの担当が決まっていて、月に1回、消防訓練が行われます。

手空き総員!

大きな仕事、緊急の仕事が発生したら、「手空き総員作業」になります。手が空いている人全員集まれ、ということです。例えば、吹雪のあとの除雪作業。建物の間に積もった雪をシャベルで出していきます。気温はマイナス15℃くらいですが、すぐに汗だくになります。

下の写真は屋根の雪下ろしをしています。一番分厚いところでは、1m以上積もっています。スコップで雪山を崩して、かたまりを落としています。

次の隊が夏宿舎で休むための布団を、ヘリポートにシートを広げて干しています。

労働条件 休日は? 残業は?

業務時間は夏と冬で違います。私が参加した57次隊の場合、2月1日に越冬交代した後、4月までは朝8時から17時までで、日曜日だけおやすみ。

5月から8月の南極の冬は朝9時から17時までで、土日が休日。

9月からは、また朝8時から17時まで働き、日曜日だけ休み。

12月下旬に「しらせ」が来たら、業務時間は朝8時から19時までで、休みは……2017年は元日と1月22日(日)の2日だけでした。

なお、年間を通じて、元旦以外の祝日はお休みにはなりません。

オーロラ観測のほかに、気象観測の担当者は夜中も仕事があります。もちろん残業もあります。とくに夏場は太陽が沈まないので、夕食のあとで雪かきなどの仕事をして、午前0時過ぎまで残業、ということもありました。

職住近接・徒歩通勤

通信、調理などの担当隊員の職場は寝起きする建物にありますが、気象、オーロラなどを観測する隊員の職場は、ちょっと離れた建物まで通勤しています。

遠くてもせいぜい10分くらいの快適な徒歩通勤ですが、お天気が悪くなると、辛いだけでなく危険になります。

さらに激しい吹雪になると「外出禁止」になることがあります。

勤務先にいて「外出禁止」になったら、食堂のある建物に帰れないことになります。こうした事態に備えて、昭和基地の各建物には非常用食料が蓄えられています。

で、いくら貰えるの?

お給料について質問をよく受けますが、お医者さん、コックさん、エンジニア、研究者など、様々な職種で様々な額のお給料が支給されています。例えば、気象庁から派遣されるときには国内と同じお給料です。

「じゃ、南極にいると凄い手当とか付くの?」

とも聞かれますが、これは法令検索のwebサイトで公開されています。極地観測等手当が1日につき1,800円から4,100円。越冬期間中は3割増しになります。

その代わり、残業手当は支給されません。オーロラや気象の観測で夜中までの仕事もありますが、夜勤に伴う手当などもありません。

求人あります

さて、こんな労働条件でも南極・昭和基地で働きたい! というあなたに求人情報です。

たとえば気象観測担当は主に気象庁から派遣されていて、その他、日立、いすゞ、関電工などの企業から派遣される人もいますが、例年、観測隊員の一部は公募されています。2018年に出発する60次隊の場合、調理、医療、野外観測支援と観測担当者3人が公募されていました。(2017年10月にWebに掲載されて、11月末が応募締め切りでした)

ただし、隊員になるためには厳しい健康診断をクリアしないといけません。この健康診断でNGになる人が、ほぼ毎年出るようです。チェック項目は普通の人間ドックよりも多く、基準も厳しいです。越冬隊員候補は精神科のチェックも受けます。

Amazon、楽天、ポチッとできます

昭和基地では財布を出すことはありません。そもそもお店がないので、お金を使うことがないのです。しかし、インターネットに接続できるので、通販の注文をすることができます。昭和基地は国内と衛星回線で結ばれていて、24時間ネット接続できます。ただし、観測データなどの伝送が優先されていて、その残りの回線を分け合っているようなかたちです。

動画など大容量の使用は控えるようにと言われていますが、通販サイト程度のWeb接続であれば問題はありません。私は電子書籍を4冊購入したほか、国内にいる子どもや妻にプレゼントを送りました。しかしながら、注文したものを昭和基地に運んでくれるのは「しらせ」だけです。昭和基地で使いたいものを注文しても、届くのは12月になってから。

ハンコが押せない……

今やたいていの用件はメールで済みますが、署名・捺印が必要な書類は南極からは提出できません。こればっかりはどうしようもない。

アパートの賃貸契約、税務、金融機関、保険、携帯電話などなど。それぞれ相手先に問い合わせをして、必要と判断されれば、出発前に署名・捺印をした文書を作成し提出しました。

例えば税務署へは所得税・消費税の納税管理人の届出書を提出しました。確定申告はこれまでも電子申告・納税(e-tax)で済ませていたので大丈夫だろう、と思っていたら大誤算。

私が出発した2015年12月は、マイナンバー導入の混乱期にありました。e-taxで使っていた住民基本台帳カードからマイナンバーカードに切り替わったのですが、出発前にはマイナンバーカードは申請から交付まで数ヶ月待ちで間に合わない。国内にいる妻にいろいろと問い合わせをしてもらい大変な迷惑をかけてしまいました。

ほかにも「妻にもしものことがあっても、生命保険金は支払われない!」ということに気がつきました。契約上、死亡受取人が私だったので、署名・捺印ができないと周囲に迷惑をかけることになります。南極に行っている間は受取人を変更して、帰国後に元に戻しました。

文明社会への復帰

越冬隊は、浮世離れした南極での暮らしを満喫(?)して、帰途はオーストラリアのシドニーに上陸します。15ヶ月ぶりにお店で希望のものを注文する、ということが新鮮でした。上陸して4人ほど連れ立ってマクドナルドに行ったら、誰も財布を持っておらず大慌て、という伝説もあります。私の場合は、羽田空港に着いて、いざ電車で帰宅しようとしたらJR東日本のICカード「Suica」が使用不可になっていました。

携帯電話の契約に行ったらクレジットカードとキャッシュカードを間違えて出してしまったなんてことも。

さて、1年あまり生活費を使うことなく帰国してみれば、給与振込口座にはそれなりの額が貯まっているはず。独身の隊員はさておき、うちの場合は……いくら残っているかなんて、聞けませんよ! コワくて。

第57次日本南極地域観測隊員。2015年12月に日本を出発して、昭和基地で南極の冬を過ごす。2017年2月1日に次の隊と交代、3月に帰国。同年4月から東京学芸大学自然科学系専門研究員として、博士号取得を目指して研究中。

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