高利貸し=アイス!? 各時代を彩ったお金にまつわる言葉たち

高利貸し=アイス!? 各時代を彩ったお金にまつわる言葉たち

われわれが生きる世界では、日々新しい物が生まれ、新しい概念が誕生しています。新しい概念には、新しい言葉があてがわれ、「新語」として日本語の仲間入りを果たします。どんな言葉も生まれたての頃には新語だったわけで、新語は長く使われれば新語とみなされなくなり、昔からある言葉と当たり前のように同居していきます。一方、新語の中には、しばらくすると使われなくなり、その存在をすっかり忘れ去られてしまうものもあります。

こうした新語たちに着目すると、その言葉が生まれた当時の人々の物の見方や考え方がくみ取れるかもしれません。本稿では特にお金や経済に関する新語を3つ採り上げ、その語が生まれた頃の人々の経済観を掘り下げてみます。

ここで採り上げた新語は、それぞれの時代に発行された「新語辞典」の類いから選り抜いたものです。それも、言語の専門家が編纂したものではない、俗なものを中心に用いてみました。俗な新語辞典は、読み物的だったり体裁が整っていなかったりして学術性からは遠い一方、当時の用法やその語について抱かれていたイメージがよくわかるのが魅力なのです。

外来語を集めた辞書を除くと、大正3年の『や、此は便利だ』(成蹊社)が最も古い新語辞典とされています。まずは本書にある語からひとつ引いてみましょう。


「アイス」=「高利貸し」言葉遊びで皮肉る—明治〜大正期

  • アイス 英語のIceで、氷の意だ。之を、高利の音通で、高利貸の俗称に転用して居る。ところが、面白いぢやないか、氷と高利貸とはその冷たい点に於ても一致して居るのだ。
    ――下中芳岳(1919)『ポケツト顧問 や、此は便利だ 増補改版第二版』平凡社

高利貸を意味する「アイス」は現代の国語辞書にも残っています。たとえば『広辞苑』には、

  • (アイス-クリームの訳語「氷菓子」からのしゃれ)高利貸。〔以下、用例略〕
    ――『広辞苑』第6版(2008年)

とあります。しかし、『や、此は便利だ』と比べると実にシンプルですね。「氷と高利貸はどちらも冷たいのが面白い」などと、およそ普通の国語辞書には書かれることのない言葉のイメージが、著者の視点で面白おかしく書かれているのが、俗な新語辞典の醍醐味です。



なるほど、高利貸は冷たいやつだというのは、現代の我々の感覚にも合致するところがあります。森鴎外の『雁』に「お玉も高利貸は厭(いや)なもの、こわいもの、世間の人に嫌われるものとは、仄(ほの)かに聞き知っているが(※ルビは引用者による)とあるのが、当時の一般的な感覚だったかもしれません。





高利貸を「アイス」と称するのは明治20年代から例がありますが、広く知られるようになったのは尾崎紅葉の『金色夜叉』で用いられてからだといいます。『金色夜叉』の連載が読売新聞で始まったのは明治30年のことでした。




  • 此奴が、君、我々の一世紀前に鳴した高利貸{ルビ:アイス}で、赤樫権三郎と云つては、いや無法な強慾で、加ふるに大々的婬物と来て居るのだ。

『金色夜叉』には「高等中学にも居た人が何だつて高利貸{ルビ:アイス}などに成つたのでございませう」という文もあり、高利貸が下等な職業とみなされていた現実もわかります。

さて、高利貸という業態は、貨幣の流通と足並みをそろえて成長し、近世には隆盛期を迎えていました。明治期にも市民の生活に密着した存在だったといいます。

しかし、いつからか「高利貸」は「アイス」とは呼ばれなくなりました。昭和に入っても泉鏡花の『薄紅梅』(初出1937年)などに例がありますが、戦後には廃語扱いされています((本山荻舟(1958)『飲食事典』平凡社))。


貸金業者数の推移を見てみると、明治・大正期にはおおよそ増加傾向が続くものの、昭和に入ると減少傾向を見せます。昭和初年に4万社ほどあった貸金業者は、昭和15年には3万社を割っています((渋谷隆一(1962)「我が国貸金業の統計的考察」『農業総合研究所年報』12巻))。高利貸を指す「アイス」が使われなくなったのは、金融における高利貸の役割の縮小と軌を一にしているかもしれません。

「操短」に隠された意味とは?—大正〜昭和初期

  • 【操短】操業時間短縮の略語です。モスリンや紡績の仕事を操業といひますが、大戦後経済界の不況のため、一般に需要が減り、今までどほり仕事をしては損をするので、各工場で労働時間を短縮しました。その結果は労働問題でやかましい時間短縮が実行される事になりました。
    ――鈴木一意(1925)『新しい言葉、通な言葉、故事、熟語 社交用語の字引』実業之日本社

日本の労働争議は、第一次世界大戦後、大正デモクラシーの波の中で活発化しました。新しいムーブメントには、新しい言葉がつきものです。大正8年の神戸川崎造船所の賃上げ闘争では、「サボタージュ」という言葉が広く知られるようになりました。言うまでもなく、今日では単に怠ける意味で使う「サボる」の語源です。

「操短」を載せている大正14年の『社会用語の字引』にも「サボタアジュ」の項目があり、その中ですでに「近頃日本ではこの言葉から、更にサボるといふ新語が生れました。怠るといふ意味で、『新年早早サボつてはいけない』などと申します」と書いています。



「操業短縮」を略した「操短」もこの頃に生まれた新語です。『日本国語大辞典』では、「操短」の最も古い例は大正14年の細井和喜蔵『女工哀史』となっており、『社会用語の字引』はかなり早い段階でこの語を採録したものと見られます。なお、「操業短縮」は明治末年から例があります。




「操短」は今日の一般の国語辞書にも見出しがありますが、『社会用語の字引』にあるような「モスリン」「紡績」の話は出てきません。たとえば『明鏡国語辞典』では、

  • 過剰生産対策として、工場が機械の操業時間を短縮するなどして生産量を減らすこと。▷「操業短縮」の略。
    ――『明鏡国語辞典』第2版(2010年)

と、要点を押さえた模範的語釈になっています。「操短」は紡績業に限って行われることではありませんから、この方が正確です。しかし、「操短」が使われ始めた時代、「操短」といえば紡績だと感じられていたのも、また事実なのでしょう。『女工哀史』で描かれているのも、紡績工場で働く女工たちの過酷な労働環境でした。

「安近短」が表す時代の変化—バブル期

  • アンキンタン〔若者〕 円高ドル安のため、若者の間で海外旅行熱が高まっているが、そのコース設定のポイントは、「安い・近い・短い」となっている。
    ――猪野健治編(1988)『現代若者コトバ辞典』日本経済評論社

1985年のプラザ合意で、1ドル230円台だったレートが1987年末には1ドル120円台まで円高が急進。これに伴って海外旅行がブームとなり、1988年度の海外旅行者数は85年度と比べ7割も増えました。こうした時代背景の中で新語辞典に記録されたのが、「安い・近い・短い」の頭文字をとった「安近短」という言葉でした。今日でも新聞の見出しなどでたまに見ますし、『大辞林』にも第3版(2006年)から立項されています。今やすっかり定着した語だと言っていいでしょう。

この言葉の出自はあんがい古く、実はバブル経済以前から例があります。たとえば、朝日新聞は1984年7月11日の朝刊で

  • この夏の旅行者は、史上最高の約六千五十万人だが、「安・近・短」の節約型

と書いています。しかし、この頃はまだ観光業界の専門語といった感じで影が薄く、バブル経済に突入して海外旅行が一大ムーブメントになってようやく、「若者語」として新語辞典に記録される程度には認知度が上がったようです。

新語辞典の『外辞苑』も、「安近短」を「一九八八年の言葉」と紹介しています。

  • 【安・近・短】 一九八八年の言葉。海外旅行に対する国民の意識。実際に旅行したり、旅行の計画がある国は、中国、韓国など東アジアが増え、費用も一〇万~三〇万円台が主流で、旅行期間も短縮化の傾向にある。
    ――亀井肇(2000)『平成新語・流行語辞典 外辞苑』平凡社

上記の新語辞典はどちらも「安近短」を海外旅行と結び付けて捉えています。しかし、実例を見てみると、国内のレジャーについて述べた文でも「安近短」が普通に使われていることがわかります。さきほど引用した朝日新聞の記事も、国内旅行を含めて論じています。一般の国語辞書で「安近短」を立項している『大辞林』『大辞泉』も、さすがといいましょうか、特に海外旅行で使われる語だとは説明していません。

では、なぜ新語辞典では「安近短」が海外旅行に関する言葉とされているかといえば、やはり海外旅行ブームに伴って記憶された言葉だからなのでしょう。

バブル経済の最中の海外旅行ブームで認知された「安近短」ですが、新聞での使用例が増えるのは1990年代に入ってからです。おわかりですね。バブル崩壊で、「安近短」志向がぐっと強まり、一挙に定着をみたというわけです。それから今日に至るまで、「安近短」は継続して使われ、一般の辞書にも収録される言葉になったのです。

資料として顧みられることはあまり多くありませんが、新語辞典はどれも饒舌で、その時代のリアルな空気を伝えてくれます。かつての生きた日本語を垣間見るのに、古い新語辞典を紐解いてみるのもまた一興でしょう。

一介の辞書コレクター。暇さえあれば辞書を引いている。

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