お金の歴史と金利の歴史
私達が生活する上で欠かすことの出来ないもの、それはお金です。
中には人生で一番重要なものはお金と言い切る人まで居るくらいです。
そんなお金と同じように、現代ではお金を扱う金融機関も社会とは切り離せない重要な存在となっています。
例えば銀行の預金口座が代表的ですよね。
生活に欠かすことの出来ない金融機関
預金口座がないと携帯電話やネット回線の支払いができず、インターネットを利用することが出来ないので、この記事を読んでいるという事は、間接的に金融機関を利用している証でもあります。
金融の仕事は簡単に言うと、金利を決めてお金を貸し出し、返ってきた利息で利益を上げるというものです。
つまり金融機関はお金でお金を稼いでいるわけです。
普通に暮らしている限りは、商品に対する支払いの場面でしかお金を利用することがないので、お金でお金を稼いでいると聞くと、そんなことしていいの?と思う方もいるかもしれません。
お金は国の血液とも言われていて、お金が世の中に回らないと、景気が悪くなり国力が衰えていく事になります。
金融機関は、世の中にお金を循環させるための一翼を担っているので、現代社会では必要不可欠な存在になっています。
最近では、普段何気なく利用するスーパーマーケットも、金融部門を持っていることがあり、むしろ本業である小売業よりも儲かっているというケースがあるぐらいです。
それくらい社会にとって当たり前の存在になった金融機関ですが、その利益の元となる金利は一体いつ頃からあるのでしょうか?
今回はそんな金利の事について調べてみました。
そもそもお金とは
金利はお金とセットの関係なので元となるお金の事から説明します。
そもそもお金とは何なのでしょう?
お金は私達が生まれる前から当たり前のように存在しているので、殆どの方がその存在について疑問に思ったことすらないと思います。
通説ではお金が誕生する以前の人々は、物々交換でやり取りをしていて、自分と相手が認めた持ち物を交換することで、取引をしていたと言われています。
ですが物々交換にはデメリットがありました。
まず量の問題です。
例えば、あなたが狩りをして野生動物を仕留め、大量の肉を手に入れたとします。
そんなあなたのもとに一握りの米を持った人が現れて、その肉と交換してくれと言われたらどうしますか?
おそらく「一握りの米にふさわしいだけの量を上げる」と答える方が大半で、まるまる1頭あげるなんて気前の良い方はかなり稀だと思います。
物々交換の時代も考え方は基本的に同じで、たくさんの肉が欲しければ、それにふさわしいだけの米を提供しなくてはいけませんでした。
しかしこれだと、欲しいものがあると、それと同等の量を提供しなくてはならず、交換する物を運ぶ手段も基本的に徒歩となるので、移動範囲も限られてとても不便でした。
もう1つの問題が価値です。
相手が肉と同量の米を持っていれば、交換が上手く行くかというとそうではありません。
なぜかというと、人によって認める価値が違うからです。
一万円札と千円札はサイズはほとんど同じですが、その価値は10倍も違います。
これと同じように例え同量の米を持ってきても、肉の持ち主が米を嫌いなどの理由で価値を認めなければ、交換が上手くいかないことがあるのです。
お金は物々交換のデメリットを解決するために生まれた
お金はそうした物々交換のデメリットを解決するために生まれました。
初めは貝や石をお金として扱い、やがてそれが発展し貨幣制度になり、それを経て現在の紙幣制度になりました。
ちなみに「買」などお金に関する多くの漢字に貝の字が入っているのは、貝をお金として使っていたことの名残なのです。
お金が生まれた事で物々交換の量の問題は、大量の物資を持ち歩く必要がなくなり解決しました。
また価値の問題も、肉をお金に交換しそのお金を自分の好きなものに変える事ができるようになったため解決しました。
このようにしてお金は取引に便利な方法として広がっていき、やがて政府が管理する貨幣制度に変わっていったのです。
お金は皆がその価値を認めているから使える
と言っても、物々交換から貨幣制度に簡単に変わったわけではありません。
なぜなら貨幣制度が始まりそれを維持するには、貨幣に対する信用が必要になるからです。
貨幣に対する信用とはどういうことかと言うと、コンビニのレジに他国のお金を持って行くと分かります。
コンビニのレジに他国のお金を持って行くとどうなると思いますか?
沖縄など米軍基地の関係で対応している地域も一部にはありますが、殆どの場合おそらく使えません。
別に偽札とかお札が破れているとかの理由ではなく、それが他国で流通している本物のお金であったとしても使えません。
なぜならそのお金の価値を知らないからです。
普段当たり前のように使っているのでこんなことを意識することは無いと思いますが、一万円札で一万円分の買物ができるということは、一万円札には一万円分の商品と交換できる価値があるということです。
つまり皆が「一万円札は一万円分の商品と交換できる」と知っていて、さらにこの情報を当然の事と信用しているから、ただの紙であるにも関わらず商品を買うことが出来るわけです。
ですが外国のお金はまず価値がわかりません。
そしてたとえ価値がわかっても、そのお金が他で使えるかもわかりません。
このようにお金が使える条件は利用者がその価値を知っていて、そしてその価値を信用している事が必要なのです。
そのため価値も信用も不確かな外国の通貨は、コンビニで使うことが出来ないのです。
お金の信用=政府の信用
お金の価値を知るというのは簡単です。
「このお札では一万円以内の商品なら買えるよ」と教えればいいだけなのですから。
しかし信用を作ることは困難です。
生まれる前からお金があるので、疑問にすら思っていないと思いますが、お金はただの紙であり一万円札の原価は30円ほどでしかありません。
それでも皆がこの紙には一万円分の商品と同じ価値があると信用しているから使う事ができるのです。
ではその価値は誰が決めているのでしょう?
それは政府です。
政府がこの紙には一万円以内の商品が買える効果があると決めて、それを保証しているから私達は当たり前のようにお金を利用してお買物が出来ています。
お金の価値は政府が保証しているので、政治がおろそかになると、お金の価値まで変わってしまいます。
お金の価値が変わるというと、ハイパーインフレが有名です。
近年ではアフリカのジンバブエがハイパーインフレに陥り、遠い小国にも関わらず日本でも名前を知られるようになりました。
ジンバブエのインフレ率は最高で150倍にも達し、同じ商品でも朝と夜で値段が違うという事があったと言われています。
日本では国の借金の多さを取り上げて、いずれハイパーインフレが起きるのではと言われる事がありますが、ハイパーインフレが起きるには、2つの条件があります。
- 外国に借金がある
- 供給が大幅に足りなくなる
日本の場合この2つに全く当てはまっていないので、戦争などの急激な社会の変化がなければハイパーインフレが起こることは、現状は無いでしょう。
嘘から生まれた紙幣制度
このようにお金は信用と切っても切れない関係になっています。
しかしこの信用を意図的に作り出し、お金を生み出せる職業があるのです。
それは銀行です。
銀行は元手が無い所からお金を生み出す事が出来ます。
これを信用創造と言います。
信用創造は銀行がどのようにして生まれたかを知ると分かりやすいです。
まず貝や石などをお金として利用していた時代から時間がたち、金貨などの貨幣を利用した時代が訪れます。
盗難を恐れた一部の人々は、大きな金庫を持つ人にお金を預け、預けていることを表す証明書を発行してもらうようになります。
そしてお金を利用する時だけ金庫に行き、証明書と引き換えにお金を受け取っていたのです。
このように金庫を利用する人が次第に増えていき、物を買う側も売る側も必要の無い時はお金を預けて、その替わりに証明書を発行してもらうという事が一般的になってきました。
すると買物をする際に証明書同士を交換すれば、わざわざ金庫にお金を取りに行く必要がなくなると気づく人が現れ、このやり方が瞬く間に広がっていきます。
そして証明書同士でやり取りをする事が一般的になると、金庫までお金を取りに来る人が減り、金庫の中のお金はめったに移動することがなくなりました。
そういった状況に目をつけたのが金庫の管理人です。
管理人は「お金を取り出しに来る人が減ったから、金庫には常にお金がある。
それならば自分のお金ということにして利息を付けて他人に貸し出せば、簡単に利息分のお金を稼ぐ事が出来るのではないか?」と考えたのです。
この考えは見事に当たり、管理人はみるみる内にお金持ちになっていきます。
もうお分かりの方もいるでしょう。
こうして生まれたのが銀行です。
銀行というのは、
- 皆が金庫には預けたお金がある
- 管理人は自分のお金を貸し出している
と信用していた結果、生み出されたのです。
預金による貸付を行う銀行は次第に数を増やし、証明書は後に紙幣となります。
そうして現代まで続く紙幣制度が生まれたのです。
この管理人が行ったやり方が信用創造と呼ばれ、現在の銀行は預金の9倍まで貸し付けることが法律で認められています。
金利はいつごろからあるのか?
こうして見てきたようにお金の価値も、現在の紙幣制度も信用によって生まれました。
では金利はどうでしょう。
金利の歴史は意外と古く、日本ではお金が生まれた頃には既に金利の概念があったと言われています。
日本で初めて出来た貨幣は、和同開珎と言い708年にできた(諸説あります)と言われているので、この頃には既に金利を決めたお金のやり取りがあったと考えられています。
金利は現在、お金の貸し借りに対するレンタル料として考えられていますが、始まった頃は上記の金庫の管理人と同じように簡単にお金を稼ぐための方法として生み出されたと言います。
この点は誕生時とは大きく変わっていますね。
金貸しと呼ばれていた金融業
当時はお金を貸し出して生計を立てる人の事を、金貸しと読んでいました。
現代の消費者金融と違いかなりストレートな言い方です。
金貸しは時代とともに増えていき、物を担保に貸付を行う質屋が誕生し、1980年代頃までは日本の様々な場所で見る事が出来ました。
しかし、無担保で貸付を行うことが出来るカードローンの台頭によって数を減らし、最近ではなかなか見る事が出来なくなっています。
日本の金利に関する法律
現在も適用されている利息制限法は1877年に初めて施行されました。
その頃の金利は最高日歩50銭、分かりやすく年率で換算するとなんと182.5%。
現在の上限金利が年率20%であることを考えると、闇金もビックリの金利です。
その後1954年に利息制限法の改正と出資法が施行されます。
これ以降も何度か上限金利の引き下げが行われ、グレーゾーン金利などの問題を経て現在の上限金利20%に落ち着くことになります。
年 | 上限金利 |
---|---|
1954年 | 109.5% |
1983年 | 73% |
1986年 | 54.75% |
1991年 | 40% |
2000年 | 29.2% |
2010年 | 20% |
海外の金利の歴史
日本と違い海外の金利事情は宗教が大きく影響して来ました。
キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の聖書である旧約聖書には「その人に金や食料を貸す場合、利子や利息をとってはならない」など様々な金利を制限する言葉が記されており、これによって中世まで金融業がタブーとされていました。
カトリック教の場合、19世紀に入るまで金利を取ることが禁止されていましたが、時代が進むに連れ大規模な設備が必要になり、金融と金利を必要とする声が大きくなったため、次第に制度化するようになります。
ただしそうなる以前にも、金利を付けて貸し出すことを認められていた人たちがいます。
それがユダヤ人です。
当時のユダヤ人は、キリストを殺害した民族として迫害の対象となっており、1つの土地に長く留まる事が出来ませんでした。
家や土地を持つことができず仕事を選べなかったユダヤ人は、金融業を生業にするしかなく、これが原因して現代でも金融の世界は多くのユダヤ人がトップを占めています。
ちなみに上記で説明した最初の金庫の管理人も、ユダヤ人であったと言われています。
まとめ
- お金が誕生する前は物々交換であった
- 物々交換のデメリットを解決するためにお金が生まれた
- お金は信用でできている
- 金利は貨幣が誕生した頃からある