世界各国の料理を再現する「歴史料理研究家」が、食でタイムトラベルを行うために使うお金
はじめまして。歴史料理研究家の遠藤雅司と申します。
世界各国の歴史上に存在した「歴史料理」を作り、食べてもらうことで、時代も国境も越えた体験をしていただく。歴史料理によって皆さまにタイムトラベルをしていただくという活動を行っています。
歴史料理という言葉について、何となくイメージはつくけど、具体的にはよく分からないという方もいるかもしれません。
私が研究している歴史料理とは「歴史の流れで失われた、あるいは失われつつある料理」のことです。さまざまな文献からレシピを読み解き、現代日本で手に入る材料で実際に「再現」しています。
また、再現した世界各国のあらゆる歴史料理を、当時の音楽と共に楽しんでいたく「音食紀行」というプロジェクトを主催しております。イベントでは参加者の皆さまに、再現した歴史料理を5品ほど振る舞いながら、その料理に使われている食材や調理法を通じて、当時の食文化を説明しています。
料理そのものと共に歴史や偉人たちの情報もまとめて味わっていただくことで、歴史的体験を感じていただくことを目的としているのです。
この歴史料理ですが、1食を再現するのにかけている時間はおよそ3日ほどです。また、かかるお金は食材費だけだと1,000〜2,000円ほどでしょうか。
意外と少ないと思われた方もいるかもしれません。このあたりの事情はまた後ほど詳しく説明していきます。
今回は、まだまだ知っている人が少ない「歴史料理研究」というジャンルを紹介しつつ、歴史料理の魅力を皆さんに知っていただきたいと考えています。
「歴史料理」は、ただ昔の料理を再現するのではなく、その時代の食文化や人々の生活を感じるもの
あらためて「歴史料理」についてここで説明させてください。
私が再現している歴史料理のコンセプトは、ただ歴史の流れの中で失われた、あるいは失われつつある料理を現代日本に蘇らせているというだけではありません。その料理から各時代の食文化や人々の生活を感じる、というところまで含めて歴史料理としています。
この「再現」は、言葉にすると簡単なのですが、実際に行おうとすると非常に厄介なものです。
というのも、「完璧な再現」を目指すと、気が遠くなるほどのお金と時間がかかったり、現代人の味覚に合わない料理に仕上がってしまうことがあるのです。
例えば我々が普段食べている野菜は、品種改良をし、味や栄養価に富んだものになっています。ところが、歴史料理を「完璧に再現」しようとすると、現代の野菜ではなくその原種(品種改良前のもの)になります。
原種はアクが多かったりえぐみがあったりすることもありますし、そもそもその辺で売られていません。研究所で栽培されているものもあるのですが、それを分けてもらおうとすると、とても大変です。
それほど苦労して作っても、現代の味に慣れた我々には「おいしくない」と感じられることがあるのです。「完璧な再現」は、作る側にも食べる側にも苦労を強いることになってしまう可能性があります。
そこで私は「簡単かつおいしい」歴史的な料理の再現を目指しました。食を通じて各時代の食文化や人々の生活を感じていただくのが目的ですから、まずはおいしく食べてもらわないといけないし、レシピ本などを通じて気軽に作ってもらいたいからです。
入手困難な食材は、無理して手に入れようとせず、身近な食材で代用します。例えばレシピに「小麦」が出てきた場合、完璧な再現を目指すのであれば、我々が普段使っている小麦の原種にあたる古代小麦を使う方が正しいでしょう。
そして、古代小麦は日本でもネット通販で購入することができます。でも聞き慣れない方も多いと思いますし、すぐに手に入るものではないことは確かです。
そこで小麦粉や大麦粉、全粒粉などで代用するようにしました。もちろん、これらの中で、その料理に一番合うのはどれか、常に試行錯誤した上で選択しています。
豚の血などを必要とするレシピでは、こちらもインターネットを駆使すれば手に入らないわけではないのですが、ブラッドソーセージで代用して、分かりやすく作れるように誘導しています。
文献を読み解き、当時の作り方を学ぶ。歴史料理の再現方法
とはいっても、具体的にどのように歴史料理を再現しているか、イメージが沸かない人も多いと思います。ここからは、再現方法について、実例をもとに紹介します。
【1】古代メソポタミアの「クック」を歴史料理として再現する
まずは、世界の中で最古の料理とも言うべき古代メソポタミア料理を再現してみましょう。
1.文献を読み、登場する料理名をピックアップする
再現に必要なのは、過去の生活様式が記された文献。古代メソポタミアの文章の中で、もっとも有名なのが『ギルガメシュ叙事詩』です。その第11の書板には「クック」という料理が記されています。
シャマシュはわがために時を定め〔て、言っ〕た。
『朝にはクッ[クを]、夕には小麦を雨と降らせよう。
さあ、方舟の中に入り、お前の戸を閉じよ。』
(『ギルガメシュ叙事詩』第11の書板86-88)
「クック」はアッカド語で「クック(kukku)」、シュメール語では「ググ(GÚG)」といいます。
料理を作るという英単語「クック(cook)」はなじみのある単語ですが、「クックを降らせよう」と神が言ったとしたら、どういう意味なのか想像がつかないかもしれません。『ギルガメシュ叙事詩』では、注釈として「パンの一種」あるいは「ケーキ」と訳されていることがあります。
また、アッシリア語の辞書では「パン」または「ケーキの一種」、アッカド語の辞書だと「ケーキの一種」と記されています。ここではパンの一種で、甘味を加えた焼き菓子ぐらいの意味合いと考えればいいでしょう。
- ・ アッカド語……古代メソポタミアの地域で紀元前20世紀ごろから使われていた言語
- ・ シュメール語……古代メソポタミアで紀元前26世紀〜紀元前17世紀ごろに使われていた言語
- ・ アッシリア語……古代メソポタミアで、紀元前20世紀〜紀元前6世紀ごろに使われていた言語
2.料理を作るのに必要な材料や作り方を、文献でさらに調べる
さらに「ググ」もしくは「クック」が載っている文献を調べてみます。すると、シュメール時代に、より上質な小麦粉と「高貴な」バターで作られたとあるのが見つかりました。
また、ある文章では、クックは「宮殿に向かった」ケーキとしての記述があり、同時に食材を混ぜる分量の割合が記されていました。具体的には、バター、チーズ、デーツ、レーズンの分量です。
さらに調べていくと、なんと、紀元前1730年頃までに書かれた古バビロニア時代の粘土板、通称「バビロニアコレクション」に具体的な食材名が書かれていることが分かりました。ここまで分かれば、調理方法が見えてきます。
zi-iq sa-ma-a-dim i-[n]a i-ti-ir-tim a-la-aš-ma a-na a-sà-al-li
私は挽いたziqqu-粉を凝乳でこね、銅の容器に
Ì.NUN a-na-ad-di-ma li-iš-ša-šu ki-ma ra-aq-qá-tim
バターを加え、そのこね粉を薄布のように
i-na a-sà-al-li-ia ú-⸢ša⸣-ab-ša-a-al
銅の容器で調理し、
i-na qá-tim ú!-pa-aš-ša-[š]u-ma a-ḫi-tam a-ša-ka-an-šu
手で塗り、横に置く。
ti-iq-tam i-na ši-ka-[r]i-im ša i-na GIŠḫá ra-as-nu a-m[a]-⸢ḫa-ar⸣-[ma]
私は(香)木を浸したビールのなかに入ったtiqtum-粉を受[け]取り、
[a-n]a a-sà-al-lim a-ta-ab-bá-ak-ma SUM.SIKILsar a-za-nu-[umsar ]
銅の容器[に]注ぎ入れ、ワケネギ、ニンニク
[sà]-mi-dam di-iš-pa-am Ì.NUN ù ši-ip-kam iš-te-en i-na [li-ib-bi]
サミドゥ・ネギ、蜜、バター、そして注がれた汁を[その中で]一つに
[uš-z]a-az LU.ÚB i-na a-sà-[a]l-⸢li-im⸣ [*本文欠損 ]
し、蕪を銅の容器に[ *本文欠損 ]
『イェール大学バビロニアコレクション(YBC)8958、イェール・オリエンタル・シリーズ(YOS)バビロニア語・テクスト11,26 IV-51~58』(翻字・翻訳:月本昭男)
「クック」を当時のレシピから再現してみましょう。この文献によれば、クックは、ジック(ziqqu)粉という小麦を臼(うす)などで粗くひいた粉をバターと牛乳で混ぜ合わせ、さらにバターを加えて薄く伸ばして作っていることが分かります。
さらに、別の文献にもあった「宮殿に向かった」ケーキの証として、当時、王族たちが愛してやまなかったメソポタミアのスイーツであるデーツを加えてみます。バターと牛乳、そして生地に入れ込んだデーツが焼けて、クック単体でも甘い香りが味わえます。
続いて、薄く伸ばした生地にかけるソースを作ることにします。
奇妙なことのように思えますが、まずはバビロニアコレクションに記載されているとおり、ネギ類、ニンニク、バター、ハチミツなどを混ぜ合わせます。なるべく文献に忠実に、すりおろしたネギとニンニクに、バターとハチミツを混ぜ合わせていきましょう。
3.さらに再現率を高めるために、当時の食文化を調べて取り入れる
ここでさらに、バビロニアコレクションには記載されていませんが、『ギルガメシュ叙事詩』のソースと印象づけたいため、第9の書板においてギルガメシュが明るさのもたらされた世界で見た「いなご豆」をレシピに加えることにしました。
いなご豆の莢(さや)の中には黒い果肉が含まれていて、その莢と果肉部分を「キャロブ」といいます。さらに、果肉部分を挽いたものを「キャロブパウダー」といい、現在では珈琲やココアの代用品として使われています。
あれこれ試した結果、このキャロブパウダーを加えた方が風味が豊かになり、おいしくなることが分かりました。というわけで、先のポロネギ、ニンニク、バター、ハチミツにキャロブパウダーを加えたソースが仕上がり、『ギルガメシュ叙事詩』のクック、完成です。
【2】ベートーヴェンの愛したウィーンの魚料理を歴史料理として再現する
もう一つ、歴史料理を紹介しましょう。「こだわりの男」「偏食家」として知られるベートーヴェンの大好物は、ドナウ川で獲れる淡水魚でした。今回は、ベートーヴェンが食べたかもしれない魚料理を再現してみます。
1.文献を読み解く
当時のウィーン料理書を見ると、魚をおいしく味わう方法が記されています。当時の料理書に登場した魚料理を、ベートーヴェンはレストランや自宅で家政婦に作らせて味わっていたかもしれません。実際に見てみましょう。
332. 魚の上手な調理法
少量のグリーンパセリ、タマネギ、ニンニクをみじん切りにし、両面に塩をまぶした魚にコショウ、メースを少量かけ、いくつかの箇所に切り込みを入れ、上記の刻んで混ぜ合わせたスパイスと野菜とアンチョビを切り込みに入れる。
その後、ブリキ製のボウルにバターとミルククリームを塗り、[魚の]片面をクリームに浸すように置き、焼く。色づいてきたところで魚にまたミルククリームを塗り、オーブンに入れる。これでソースめいたものができる。あとは食卓に出せばよろしい。
『Die Wiener-Köchin wie sie seyn soll, oder』(テレジア・ムック、白沢達生訳)
このレシピを見て分かるとおり、分量の記載はありません。書いていないところは想像力で補いながら、現代風に調理していくことにします。
2.足りない部分は想像力で補い、現代風に調理する
ベートーヴェンの生きていた時代を調べてみると、当時の料理にはジャガイモを添えることが通例だったことが分かります。
ヨーロッパでは18世紀以降、ジャガイモが急速に普及し、日々の献立に登場するようになっていました。事実、ベートーヴェンが晩年に筆談に使用した手帳にも、肉の付け合わせとしてジャガイモが出てきます。
そこで、上記のレシピには一言も触れられていないのですが、ジャガイモを加えてみることにします。すると、ほくほくとした食感と、魚の旨味をたっぷりと吸ったジャガイモがいい味を出し、なおかつボリューム感もあって満足度がかなり高くなったのです。
実際の手順としては、まず魚の両面に塩をまぶし、コショウ、メースというスパイスをかけ、切り込みを入れます。耐熱容器にバターを塗って魚を入れ、みじん切りしたパセリ、タマネギ、ニンニク、アンチョビをのせます。
ここで付け合わせとなる輪切りにしたジャガイモをさらにのせて、ミルクソースを注ぎ、オーブンで焼き上げて完成としました。
このように、レシピが現代のような完璧な指南書となっていないので、制約と自由さを持って料理を作ることができるのです。
あくまでベースのレシピはそのままに、ジャガイモを加えた方が現代の味覚にも合うし、満足感も高くなるため、加えたものを「歴史料理」としました。
歴史料理を再現するのにかかったお金
2つの例を読んでもらってお分かりの通り、原則として、料理は現存する歴史的資料をもとに再現しています。忠実に再現し、完成したものがおいしければ、特に手を加えずにそのまま採用しています。ですが、実際には一発でうまくいくことはほとんどありません。常に試行錯誤の連続です。
また、「再現」にいくらぐらいお金をかけるかも難しい問題です。
歴史料理を学んでいたころは、古代文書の複製を海外から取り寄せたり、海外の歴史料理ならその土地の食材を使ったりすることにこだわっていました。
例えば、ある古代の文書の複製書物(19世紀作成品)は8万円ほどしています。それから、先に紹介した古代メソポタミア料理では、イラク産の食材を取り寄せたところ、イラク産デーツだけで5,000円かかるなど、1品で5万円ほどかかってしまいました。
当時の音楽とともに歴史料理を楽しんでもらうイベント「音食紀行」を開催するようになってからは、イベントを継続して行うためにも、常に大赤字にするわけにはいかなくなりました。
しかし「完璧な再現」の料理を提供すると、少し興味を持った方に気楽に参加いただけるような金額ではない、高額な参加費が必要になってしまいます。
そのため、現在では考えをあらため、これまでの「無尽蔵にお金を費やせばいい」という発想から、なるべくコストパフォーマンスの良い方法を探るようになりました。
文献はあくまでレシピが書かれている内容が重要なので、実際に製本された古代文書の複製を収集することはやめ、海外の博物館等のサイトからダウンロードできるサービスなどを積極的に利用しています。食材も、インターネットを駆使しながら、現在日本で入手できるものを中心に再現するように変更したのです。
これにより、気軽に参加できる費用まで抑えることに成功しました。今までに歴史料理のレシピ本を何冊か出させてもらっていますが、そこに記載してもご家庭で簡単に作ってもらえるようにもなっています。
現在では、料理によって異なりますが、一食を再現するのにかかる費用は、材料費だけだと先述の通り1,000〜2,000円ぐらいになるよう努力しています。
ただしこれはあくまで材料費だけの話です。というのも、一食を再現するために、かなりの文献に当たらなければならないからです。著作にも巻末には参考文献リストを載せているのですが、1冊の本につき、100冊を超える日本並びに海外の文献に当たっています。
もちろん、今では1冊8万円もする複製書物の買い物はしていないのですが、文献の蓄積量に比例して料理の解像度が上がるので、収集は常に行っています。
そのため、1冊分のレシピを再現するために、だいたい10〜20万円ぐらいの資料費はかかっています。
そうして解像度を高めても、肝心のレシピに調理工程が省略されていたりするため、煮込む時間や焼く時間を試行錯誤することもしばしばです。当然、その分の材料費はかかるので、比較的安価にするようにしていても、食材費が1万円を超えてしまう料理があったりするのは難しいところですね。
歴史料理は時代も国境も越える「タイムマシン」。料理を通じてタイムトラベルしてほしい
いつの時代も、食事は楽しみの場です。ならばその原則を守って、おいしく、楽しく、新たな発見もある、味と再現性のバランスがとれた「歴史料理」を作りたい。そう思い、活動を続けています。
現在の日本では、さまざまな食材や調味料を簡単に買うことができ、世界各国の料理を作ることができます。その料理を食べるときには、国境を越えたような感覚を味わえます。
一方で、歴史料理で越えるのは国境だけではありません。当時の食文化や人々の暮らし、そして時にはその料理を愛した偉人の思いまでも知ることができる、時代を越えたタイムトラベルを味わえるのです。いわば、歴史料理はタイムマシンなのです。
現在はコロナ禍もあって、なかなか「音食紀行」イベントを開けず、皆さまに歴史料理を食べていただけていません。
ですが、銀座にある「創作料理銀座Co-Lab」店長のご協力のもと、「古代メソポタミアレストラン」をオープンしました。期間限定で歴史料理を提供し、コロナ禍の逆風ながらも、現代に失われてしまった過去の料理をよみがえらせて、当時に思いを馳せていただいています。
こうした活動によって、お客様から多くのフィードバックもいただいています。特に多いのが、日本の歴史料理の再現リクエストです。
日本の食に関してはさまざまな専門家がいるので、私の出る幕ではないとも思うのですが、少しやってみたい企画もあります。というのも、江戸時代の日本人は、魚の消費量が近世の世界一だったという文献を見たからです。
一方で、古代ギリシア人は「魚喰い」という異名を持つほど魚を食べていて、当時の資料では魚の消費量が世界一だったようです。それぞれの世界一として「江戸時代と古代ギリシアの魚料理」対決というのは面白くなるのではと感じています。
もうひとつやりたいこととしては、世界の中の日本として、日本に入ってきた海外料理とそれを「魔改造」して日本で定着した料理を、それぞれ比較する企画です。
例えば、南蛮菓子のひとつである金平糖は、もともとポルトガルの「コンフェイト」が日本に伝わったものです。フランス語の糖衣菓子である「ドラジェ」と言った方がピンとくる方もいるかもしれません。
このように、オリジナルとはかけ離れたものの、極東の地で育まれ、変容した料理はたくさんあります。
オリジナルと日本「魔改造」料理を歴史料理の枠組みで2つ並べてみるのも、歴史と文化を五感(資料を読み、調理時の音を聴き、実際の資料を触り、料理を作って匂いを堪能しながら味わう)をフルに使って、味わい尽くせるものとなると感じています。
新たな食文化の冒険に進んでいきたい次第です。
歴史料理研究家。世界各国の歴史料理を再現するプロジェクト「音食紀行」主宰。 著書に『歴メシ!』(柏書房)、『英雄たちの食卓』(宝島社)、『宮廷楽長サリエーリのお菓子な食卓』(春秋社)、『古代メソポタミア飯』(大和書房)、『食で読むヨーロッパ史2500年』(山川出版社)。漫画「Fate/Grand Order 英霊食聞録」で食文化と料理を監修。明治の食育サイト「偉人の好物」にて監修を担当。 撮影/五十嵐美弥(小学館)
編集:はてな編集部